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誤報(1)のエントリーは11月26日付けです。最初から読む方はカレンダーで11月までたどって26日をクリックすると誤報(1),(2)のエントリーに入れます。あとは順々に日にちをクリックしていってください。

(モデルにさせていただいた誤報事件に関しての2chの過去ログ保存していたものアップしました
医者板の過去ログ→こちら
ニュース速報+板の過去ログ→→こちら
この事件の理解の参考となれば幸いです。当時の記事などが引用されている部位もありますのでm3掲示板も閉鎖された今、資料として貴重なものとして保存してあります。)
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雨上がりの虹(3)
 昨日は患者さんの急変があって泊り込みで家に帰れなくなって
しまいました。さすがに2日連続で病院に泊り込むと下着の替え
もないしかなり悲惨な状態になります。でも患者さんの状態が
落ち着いたのでとりあえず一安心で今日は帰ってこれました。
 いろいろ皆さんに応援のメッセージをいただき恐縮のかぎり
です。なるべく皆さんのご期待に沿えますようにブログも続け
ていければと思います。息切れしたらば少し休むかもしれませ
んが出来る限りで長く続けたいと思うので引き続き覗きにきて
いただければ幸いです。あ、そうそう昨日日本サッカー勝った
ようですね良かった良かった。

 腹腔内と多量の生理食塩水で洗い流す。便汁の海の中で
穿孔した腸管を検索する。穿孔部はS状結腸(大腸の下部
の部位)で、憩室(腸の壁にできる凹み)の穿孔で
あった。便汁が流れてくるので穿孔部をとりあえず縫合し
閉鎖する。その後に再度多量の生理食塩水で腹腔内を洗浄
する。ある程度きれいになったところで横行結腸(大腸
の中間部分、この場合は穿孔部の上流)に人工肛門を作成
する。(穿孔した部分は脆弱となっておりそのままにする
とすぐに再穿孔するので便が穿孔した部分を通過しないよ
うに上流に人工肛門と作成して便を体外に排出しする形
にするのである。)汚い膿が腹腔内に残らないように
管を数本挿入し手術を終えた。大腸穿孔の場合、無数の
細菌が腹腔内に入り込み、敗血症性ショックから多臓器
不全(様々な内臓の機能が失われる状態)に陥ることが
多い。この人も手術終了後も血圧は上がらずショック状態
が続いていた。
「大腸の下部の部分にもともと憩室という凹みができていた
のだと思われます。その部分になんらかの原因で感染を
おこし、穴が開いたものと思われます。その穴から便が
お腹の中に漏れ出し、便汁による腹膜炎を起こしていま
した。お腹をあけたところお腹の中は便汁の海の状態で
した。穴の空いた部分は閉鎖しましたが、そのままでは
便が流れてくればまた圧がかかって穴が開きますから
上流に人工肛門をつくって便を体外に逃がす形にしました。」
「そうですか、どうも有難うございます。」「できること
はしましたが、このような大腸の穿孔の場合、状態が術後
に急激に悪くなることが多いです。実際に現在昇圧剤を使って
いますが血圧もあがりませんし、呼吸状態も悪く人工呼吸
器での治療から離脱できない状態です。お腹に漏れ出した細菌
が出す毒素を吸着する治療と、継続的に透析をかける治療
が必要になります。できるかぎりのことはするつもりです
が状態は非常に厳しいことをご理解ください。」
(次回につづく)
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【2005/03/31 22:47】 雨上がりの虹 | トラックバック(0) | コメント(4) |
雨上がりの虹(2)
腹部CTでは腹水の貯留と遊離ガス像(腸管に穴が開いて
腸管内のガスがお腹の中に漏れ出している像)が認めら
れた。消化管穿孔(胃や腸管に穴が開くこと)による
汎発性腹膜炎(お腹全体の腹膜炎)であることは明確で
あった。家族にお話する。「腸のどこかに穴が開いて
そこから腸液が漏れ出して腹膜炎を起こしています。
そのため敗血症性ショックになっています。このまま
では命を落とす可能性が高く手術を行います。胃や
十二指腸、小腸の穿孔であれば穿孔部の閉鎖や腸管
の切除となります。大腸であれば右の結腸なら結腸
切除、左結腸なら人工肛門をつくる形となります。
いずれにしてもお腹をあけて穴の空いている部位を
確認しないとどのような手術になるかははっきりしま
せん。状態もよくないので手術自体も危険を伴います
が、このままでは救命は不可能なので可能性にかけて
手術を行います。現在ショック状態なので手術中に
急変する可能性もあります...。」
 急速に輸液を行い、昇圧剤と使いながら手術室に
患者さんを運ぶ。麻酔科の医師が血圧の維持に苦慮
しながら麻酔をかける。開腹したところ、腹腔内は
便汁があふれている状態であった。
(次回につづく)

 今日は緊急の手術が入り、更新が日付が変わる直前
になってしまいました。明日は当直なのでブログ休み
ます。明日の当直はあまり患者さんが来ないでいただけ
ますようにと祈りつつ..。なんとか明後日更新できる
体力を残したいと思います。ばてて落としてしまったら
すいません。
【2005/03/28 23:49】 雨上がりの虹 | トラックバック(1) | コメント(4) |
雨上がりの虹(1)
 外科はどうしても消化器癌の扱いが多くなるが、急性腹症
(腹痛を伴い、緊急手術を必要とする疾患群)の緊急手術も
それなりに多い。その多くが適切な時期に手術を行えば確実
に救命できることが多い。(虫垂炎、胃、十二指腸潰瘍穿孔
絞扼性イレウスなど)しかしながらそのような良性疾患
のなかで救命率が低い疾患もある。重症膵炎や下部消化管穿
孔などがそれにあたる。
 下部消化管穿孔(穿孔とは消化管などに穴があく状態の事
である。下部消化管の穿孔とはいわゆる大腸の穿孔。憩室の
穿孔が多い。なかには大腸癌の狭窄による穿孔もあるが。)
は非常に救命率が低い。上部消化管穿孔(所謂、胃潰瘍の穿
孔や十二指腸潰瘍の穿孔)はまず手術で助かるし、症例によ
っては手術しないで保存的に治るものもあるが、大腸の穿孔は
大腸カメラでの穿孔は前処置で大腸がきれいになっているので
助かることが多いが、普通の場合は便汁がお腹の中に漏れ出す
ので細菌量がとても多く重症化する率が高い。私は今まで
大腸の穿孔に3人当たって2人が治療の甲斐なく、救命できな
かった。今回はその内の独りの方についての話をつづってい
きたいと思う。

 ある春の日、50代の男性が突然の腹痛で救急車で都内の病
院に運ばれてきた。会社での会議の途中で急激な腹痛に襲わ
れ、様子をみていたが冷や汗が出てきて動けなくなったと
いう。病院に運ばれてきた特には血圧は上が70台まで低下
しておりショック状態となっていた。お腹は全体が張って
堅く、腹膜炎を起こしており、お腹の所見だけで緊急手術
が必要そうだと判断できる状態だった。
(次回につづく)
 
【2005/03/27 23:18】 雨上がりの虹 | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月の木漏れ日の中で(6)
 結局、彼は家に自分で帰ってしまったのだ。息子夫婦もびっ
くりしていた。私は息子夫婦と話し合い、無理に病院につれ
戻してもまた帰ってしまう可能性が高いことから、在宅で
経過をみることとした。そして週1回都合をつけて往診をする
ことにした。だが2回目の往診の時には起き上がることも
できなくなり、黄疸が再び出現してきた。彼の最後は近い
のはなんとなく感じとれた。私が彼に「痛くないですか?」
と問いかけると彼は「座薬が効いているから大丈夫。」と答
えた。私は息子夫婦と話をした。「多分、食事も水も取れなく
なってきて、黄疸もでてきて衰弱もはっきりしてきました。
多分、ここ数日の感じがします。」「そうですか..。」
「いずれにしてもこのまま家で見ていくことでいいのですね。」
「父の気持ちを考えれば出来るだけそうしたいと思います。
もうそんなに長くないのは分かっているので兄弟にも声を
かけて何とか見ていますし、ヘルパーや訪問看護婦さんも
きてくれてますから...。」私は改めてご家族と彼が急変した
ときにどうするかの対応を打ち合わせをした。

それから2日後の午前10時頃であった。外来中の私のところに
連絡が入った。「先生、今○○さんがご自宅で呼吸が止まった
そうです...。」「分かりました。外来が終わり次第、往診に
いきますとお伝えください。」外来を12時半に終え、午後に
入る予定だった手術を他の先生にお願いし1時前に私は彼の
自宅に到着した。到着したときに彼はすでに訪問看護婦に
手伝ってもらい家族に手によってきれいにされていた。
「12時58分死亡確認といたします。ご家族の方もお疲れ様
でした。」「どうも有難うございました。昨日から少し呼吸
があえぎ様になってきて、10時位に静かに呼吸が止まりまし
た。本人はあれだけ自宅に帰りたがっていましたから良か
ったのではないかと思います。」ある3月の暖かい日であった。
 彼は3月の木漏れ日の中で、あれだけ帰りたかった自宅で
静かに息を引き取った。あれだけ嫌がった何の管につながれ
ることもなく..。家族は最後の数週間、本当に大変だった
と思う。だが家族の頑張りは彼にとって最高の贈り物になった
と思う。今日、自宅で亡くなることのできる人は本当にまれで
ある。多くの人があの個室に移されると死ぬんだよと病棟の
患者が噂をする個室にうつされて、病室の天井のしみを見な
がら、様々な点滴の管、尿の管などにつながれて息を引き取る。
74歳。彼なりの大往生であった。
【2005/03/26 22:53】 3月の木漏れ日の中で | トラックバック(0) | コメント(2) |
3月の木漏れ日の中で(5)
 3月の初めにきた外来で彼のお腹は腹水が溜まってきており
息切れがするようになってきた。通院も大変そうだった。
 家族は心配しており入院させたがっていた。「そろそろ
通院も限界かもしれません。入院しませんか?」私は彼に
話しかけた。「入院してどうなるんだい。」彼はいった。
「どうせ寝かされたまま点滴につながれて弱るのを待つだけ
だろう?」「お父さん。とりあえずこちらも側にいて気が気
じゃないんです。先生もこういってるんだ。入院しましょう
よ。」「お前は黙ってろ!」彼は付き添っている息子を怒鳴
りつけた。私は静かに彼に言った。「息子さんも心配してい
るし、今の状態では苦しいでしょう。薬をつかえばもう少し
楽になるかもしれません。1回入院にしませんか?」
 かなり苦しいはずであるが彼は入院を拒んだ。嫌がる彼を
なんとか説得し私は彼を入院させた。溜まった腹水を穿刺排
液し利尿剤を使い、薬を飲むのは大変そうになってきたので
痛み止めあは座薬に変更した。人心地ついて彼は言った。
「先生、楽にはなった。先生には感謝しているけど俺はこの
入院は嫌なんだ。」私は言った。「それはどうしてですか?」
「病気を治すためなら治療もうけるし手術もうける。入院だ
ってするさ。だが今の状態は病気の治療をしているわけじゃ
ないよな。先生は昔のことは知らないだろうが、昔はみんな
家で死んでいったんだ。あそこの爺さん食事食べれなくなった
からそろそろかねって近所にうわさが立って葬式があがる。
皆、家で看取られていった。食事が食べれなくなったんだか
らもう寿命だよねってな。今は調子悪けりゃ、食事食べられ
なければすぐ入院、すぐ点滴さ。管につながれて自分でも
わけわからないままに体をいじくり回される。それで病気が
治るならいいさ。だけどそうじゃない。それなのに回りの
都合で俺の預かりしらないところで体をいじくり回される
のは嫌なんだ。人間、食べられなくなればそれが寿命なん
だよ。俺は70年以上好き勝手なことして生きてきた。息子たち
もしっかりやってる。思い残すことはないんだ。自分がずっと
住んだ家で過ごしたいということがそんなに悪いことなの
かね。」私は返答に困った。「お気持ちは分かりました。
一回ご家族もおよびしてお話しましょう。」

 その晩、彼は点滴を自分で抜き去り、病院を無断で離院した。
(次回に続く)
【2005/03/25 23:21】 3月の木漏れ日の中で | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月の木漏れ日の中で(4)
 特に大きな問題もなく彼は正月を家ですごすことが出来た。
 年明け、彼は外来にやってきて言った。「やっぱり家で過
ごせるのはいいね先生。特にこれといった症状もないし、絶
好調さ。だがこれが家ですごせる最後の正月なんだろうね。
それなりに楽しかったよ...。」
 彼の言葉は正しかった。私は言った。「正月を家で過ごせて
よかったです。どれ位落ち着いている期間があるか分かりま
せんが貴重な時間です。大切にしてください...。」

 1月の末、彼は背中の痛みを訴え外来にやってきた。「先生
ここのところ急に背中が痛くなってきてたまらないんだ..。」
 腫瘍の広がりによる痛みであった。私は鎮痛に麻薬製剤を
処方した。痛みはすぐにコントロールできるようになり彼は
次の外来受診時には大分楽になったと感謝した。しかしながら
すこしずつ食欲が落ちてきた。次第にやせ衰えていくのが
目に見えてはっきりしてきた。経過と共に彼の息子夫婦は
次第に入院を彼に勧めるようになった。「お父さん。もうだ
んだん力もなくなってきて食事も食べられなくなってきたで
しょう。近くでみてて心配なんだ。入院させてもらおうよ。」
「いいや大丈夫だ。今は痛みも薬のおかげでないし、家にいて
寝てるだけでいいんだから。」「何かあったら家じゃどうし
ようもないでしょう。」「いや入院はしない。」彼の態度は
頑なで入院はしたくないようだった。外来に来るたびに息子
夫婦と彼との攻防が繰り返された。
(次回につづく)
【2005/03/24 23:30】 3月の木漏れ日の中で | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月の木漏れ日の中で(3)
「胆管をつないだところまで腫瘍が広がってくればまた黄疸
が出る可能性がありますし、十二指腸をふさぐようであれば
食事が食べられなくなる可能性があります。病気の広がり
自体を防ぐことはできないのです。」
「なあ先生、世の中も自分の体もなるようにしかならない
ことは良くわかってる。自分の病気がどうしようもないこと
もわかってる。この歳まで生きれれば充分さ。とりあえず
痛みと辛さがでてきたら、それさえなんとかしてくれれば
いいから。とりあえず管がなくなったのがうれしいよ。こ
れで心置きなく風呂にもはいれるしなあ。」
 病状に関しては本人は充分に覚悟はできているようで
あった。死ぬまでつきまとうはずだった管がはずれ、退院
がきまって本人は満足そうであった。これなら手術をして
よかったかなと自分も思った。しかしながら厳しい現実は
ご家族にはお話をしておかなくてはならない。
 「なんとか手術は無事に終えましたが、ご本人にもお話
させていただいたように癌そのものを治療したわけでは
ありません。現在、膵癌に対して効果がはっきりあるという
抗癌剤もなく(注:現在はジェムザールが一般的に使われて
いるが当時はまだなかった。)基本的にはこのまま経過を
みる他は無いと考えます。ご本人は覚悟してしまっている
ようですが..。」「どうですか、父はどの程度もつもので
しょうか?」「3ヶ月から半年くらいでしょうか..。」
「そうですか..。」「もっと短い可能性もあります。
次回の入院は最後の入院になるかもしれません。幸いにも
落ち着いている今のようないい時期ができるだけ長く
続いてくれればと思います...。」
 ある年の瀬の週末に彼は退院となった。近いうちにまた
ここに戻ってこざろう得ない事態が訪れることは彼も
ご家族も私も分かっていた。そしてだれしもがその日がで
きるだけ先であることを祈っていた....。
(次回につづく)
【2005/03/23 23:25】 3月の木漏れ日の中で | トラックバック(0) | コメント(0) |
3月の木漏れ日の中で(2)
 「いずれにしても問題は胆汁の通る通路を作るだけで
病気の治療ではないということです。癌に関しては
手付かずになるということです。つまり手術が成功して
この管が抜けたとしても病気の進行そのものを抑える
ことはできないのです。」「つまり俺の病気は治らない
ってことだろ。それは内科の先生にも良く聞いているさ。
 どうせ先はあまりないんだ余計な管が無くせるなら
そうして欲しいんだ。」「ですが手術によって予期せぬ
合併症を起こす可能性もあります。良かれとおもって
やっても悪い結果になる可能性もありますから、この
ままこの管で経過をみるのも悪い方法ではないと考え
ますけれど..。」「いいんだよ先生。この管を入れた
まま最後までいるのはいやなんだ。俺はこの管を抜いて
欲しいんだよ...。」手術に関しては私はあまり乗り気
ではなかった。今の状態で落ち着いているのだから、
なにも痛い思いをして手術することもないのではないか。
 手術してうまくいかなかったら限られた彼の時間を
むしろ縮める結果になるかもしれない。しかしながら
本人の意思は強く、手術を行う方向となった。

 開腹すると幸いにも十二指腸への浸潤はさほどでも
なく胆管と十二指腸の吻合のみで手術を終えた。彼は
縫合不全などの合併症と起こすことなく無事に回復
した。

 管から開放され、退院間近となり私は説明の場を
設けた。「どうもお疲れ様でした。なんとか手術は
無事に乗り越えましたが前にもお話しましたように
癌そのものはそのままになっていますから今後また
色々な症状が出てくる可能性があります。」
(次回につづく)

 明日は当直なのでアップお休みします。度々
仕事の関係でお休みさせていただいて申し訳あり
ません。今週は手術も立て込んでいて帰りが遅く
なって落とさずにアップできるか少々不安です..。
 見に来て下さっている方には申し訳ありません
が宜しくお願いいたします。
【2005/03/21 20:42】 3月の木漏れ日の中で | トラックバック(0) | コメント(3) |
3月の木漏れ日の中で(1)
尿の色が茶色くなったということで70代の男性がある東京の
病院を訪れた。内科外来で黄疸があることから腹部エコーと
腹部CTが施行され膵癌が疑われた。膵臓の癌が肝臓からの胆汁
の通路である胆管を閉塞し閉塞性黄疸を起こしていることが
判明した。しかもCTでは腫瘍は上腸間膜静脈から門脈に浸潤
しており、手術での根治は不可能と考えられた。内視鏡的な
減黄が試みられたが胆管の狭窄部をガイドワイヤーが通らず
皮膚から肝臓を通して胆管に管を通すPTCD(経皮経肝胆管
ドレナージ術)が施行されて減黄がなされた。ここからの
狭窄部へのステント(金網で狭窄部を押し広げる装置)の
挿入も試みられたがうまくいかなかった。
 この時は膵癌に対してのジェムザールがまだ出てくる前で
明確に治療効果のある薬剤はなかった。そのままPTCDで内科
的には外来に戻したかったようだったが、本人がこんな管が
入っていては生活がやってられないと訴えが強かったために
外科に話が回ってきた。病状に関しては内科でかなり正確な
ことが本人に話されており本人も病状に関しては理解している
ようだった。私は彼と家族の前で説明を始めた。
 「膵臓にある腫瘍が膵臓の裏側にある血管にも食いこんで
おり手術で取りきるのは難しいと考えます。胆汁が通る管
である胆管が腫瘍により閉塞しており、胆汁の逃げ場所と
してこの管が入っているわけです。そのまま管を抜いてし
まえばまた黄疸が出現してしまいます。もしその管を抜くと
いうことであれば閉塞部より上流の胆管と十二指腸をつな
げるか小腸を吊り上げてつなげるかの胆管十二指腸吻合
か胆管空腸吻合という方法があります。」
(次回につづく)
【2005/03/20 22:03】 3月の木漏れ日の中で | トラックバック(0) | コメント(0) |
澄んだ青空(5)
「毎日の忙しさにまみれていて何のために仕事をしている
か考えたこともなかった。実績をあげて昇進していくこと
がすべてだと思っていたんです。でも冷静に考えれば、仕事
って食べていくための手段ですよね。別にその仕事で無く
たって自分が納得できればいいわけだし、家内がいうように
自分がいなくなっても代わりはいるんだってことにも気づき
ました。総理大臣を社長も変わりはいくらでもいるけど
夫である自分、子供たちの父親である自分の代わりはいない
ってことにきづいたんです。よく考えれば自分独りの体じゃ
ない。自分を必要としている人間がいることに改めて気がつ
いたんです。仕事はまたあるかもしれないけど、今を逃したら
もっと大切なものを失うかもしれないって考えたら、一刻も
早く問題を解決してしまおうって考えて..。手術を受けるって
外来に来た日は今日と同じような澄んだ青空でした。仕事の
忙しさにかまけて青空がこんなに美しいと感じたことがなか
ったのにも自分であきれました。今日は本当に澄んだ青空
ですよ、先生。今日みたいな青空を見るとまた頑張ってやろ
うかなって気になるんですよ。」
 彼の保険証の事業主はある都銀から見知らぬ企業に変わって
いた。この一年きっと辛い思いも悔しい思いもあったろう。収入
だって間違いなく減っているだろうし、50代で仕事を見つける
のは大変であったろう。年下の上司の元で働かなくてはならない
であろうし、しかも病気で手術をした後である。エリートとして
の銀行員からの転職では周りの目もあっただろう。だが彼はそ
んなことより何よりも自分が守るべきものを再認識したのだろ
う思う。仕事の肩書きよりもプライドよりも、自分にとって本
当に大切なものが存在するのだということを..。病気はひとの
人生設計を大きく狂わすことがある。だが彼はきっと苦難をも
のともせず愛する家族を守れるのだろうと思った。
【2005/03/19 21:43】 澄んだ青空 | トラックバック(0) | コメント(1) |
澄んだ青空(4)
 病気がもとで転職を余儀なくされたのだろう。しかしながら
彼は何も言わなかった。私は気づかぬふりをして定期的に彼
の外来診療を行っていた。何事もなく一年がすぎた。幸いに
も彼に癌の再発の兆候はなく術後1年が経過した。採血検査、
CT、内視鏡検査を行い病気の再発のないことを確認する。
 結果を聞きに外来に奥さんと一緒にいらした。
「幸いにも手術時に病気がすすんでいなかったので○○さん
の場合は再発の可能性は低いと考えています。もう早いもので
手術から1年が経ちました。術後1年後の今回の一連の検査では
再発の所見は認められません。」彼は胸をなでおろしていった。
「よかったです。」「あとは半年ごとに外来にきていただいて
再発の所見がないか検査をうけていただき5年間お付き合いして
いただく形となります。」「わかりました。」「この1年大変
だったでしょう。」「いろいろ環境が変わりましたから。手術
を受けるときも迷ったんですよ。丁度昇進がかかった大仕事に
とりかかったところで手術を待ってもらおうかとも思って
いたんです。それでこいつに相談したんです。こいつ何て
いったと思います?」「さあ..。」「仕事はまた別にいくら
でもあるし、別に会社はあなたがいなくてもなんとか回って
いくしいくらでも代わりはいるわよ。でも私にはあなたしか
いないの。一刻も早く手術を受けないなんて信じられないわ!
って怒りやがるんですよ。人が一生をかけてやってきたと
誇りをもってた仕事なのに、俺の代わりなんかいないと思って
いた仕事なのにですよ。」外来はこの時そんなに混雑してお
らず彼の話を聞く余裕はあった。私は話の腰を折らずに彼の
話に少し聞き入ることにした。「怒りましたね。思わず男の
仕事を何だと思ってるんだ!って。でもね冷静になって考え
てみたんです。」
(次回に続く)
【2005/03/18 22:57】 澄んだ青空 | トラックバック(0) | コメント(0) |
澄んだ青空(3)
彼は数日後に再び外来に訪れた。「先生、なるべく早めに
手術にしてください。」迷いは無いようだった。
 外来での術前検査を行い。外来にてご家族を呼び手術の
説明を行う。幸いにも遠隔転移は認められなかった。
「お腹を開けてみないと分からない場合もありますが、他
の臓器への転移は幸いのところないようです。手術で充分
に根治が望めると思います。」一通り手術で起こりうる合
併症などをお話した後、私は言った。「かなり仕事の件で
悩んでいたようですけど大丈夫なんですか?」「大丈夫
です結局、体が一番大切ですから..。」
 彼は手術目的で入院になった。
 手術は予定どおり行われ、経過も概ね順調であった。
 退院間際に経過についてお話する。「病理の結果も
癌は限定的なものでこれで完治に近いと思われます。
 今後5年間は外来で経過をみさせていただきたいと思い
ます。ご苦労様でした。」「どうも有難うございました。」
 万事がうまくいったように思われた。定期通院日のある日
私は彼の保険証の保険者名の会社の名が変わっていること
に気づく。
(次回につづく)
【2005/03/17 23:35】 澄んだ青空 | トラックバック(0) | コメント(0) |
澄んだ青空(2)
 生検結果を聞きに彼は外来にやってきた。「組織の顕微鏡
の検査の結果、悪性の細胞が認められます。潰瘍を形成した
悪性の腫瘍と考えられます。内視鏡での切除は難しいので
手術が必要になります。」「それは胃の癌ということですか?」
「そういうことになります。もちろんCTなどで他に病気が広
がっていないか確認する必要がありますが、現時点では病気は
まだここに留まっていると考えられますので手術で充分に治
癒が望めると思います。あまり悪く考えないで、まだ充分治療
ができる段階で見つかったということは運が良かったと考えて
いただいた方がよいと思いますよ。」「はあ..。分かりました。
手術となると入院ですよね..。どれ位かかりますか?」「順調
にいって、術後5日くらいで食事を開始していって、食事の食べ
られ具合をみて3週間ほどみていただければ..。」「3週間..
ですか...。手術はすぐにしなくてはならないんですよね..。」
「1~2ヶ月おいても大丈夫なものかもしれませんが早いに越
したことはないと思います。時間が経てば病気は進んでいき
ますから。」「そうですか...。仕事のこともあるので..。
いきなり1ヶ月弱休むとなると..。」彼の思いもよく解った。
50代で仕事の責任もあるだろう。またこのご時世である。病気
となればリストラされるかもしれない。しかしながら私は
立場上、治療を勧める立場にある。治療の時期を逸すれば彼
はすべてを失うかもしれないのだ。「○○さん。確かに
色々大変だと思います。ご本人の色々なお立場は私には
解るすべもないですのでぶしつけだとは思いますけど、診察
をさせていただいた立場としては早い手術が好ましいと考え
ます。もし当院が不安であればどこでも構わないですから
どこかでは治療をうけていただいた方がよいと思われます
よ。」「解りました。でも時間を下さい。何にしても
どうするか決めなくてはならないですから..。」
 困惑した顔で彼は帰っていった。
(次回につづく)
【2005/03/16 22:14】 澄んだ青空 | トラックバック(0) | コメント(0) |
澄んだ青空(1)
昨日は当直でアップ休みました。インフルエンザの患者は
以前よりやや下火となってきて救急外来の数は少なめでし
たが救急車が多く夕食はなんとかとれましたが朝食食べ損
なってそのまま通常勤務に流れ込みました。前の日の朝から
次の日の夜まで病院にいるというのは30代に入ってくると
きつくなってきます。今日は早めに仕事を切り上げて帰って
きました。明日も手術を控えてますので..。
 日本の医者は当直明けに手術したりとかなり無茶な勤務
体系ですよね..。一般の方は夜間に病院を訪れた場合、そ
こで出てきた医者はその日の朝からずっと働きづめで次の
日の夜まで勤務しなくてはならない医者なんだと理解して
あげてください。

 外来に訪れた50代の男性は検診でバリウム検査で異常
を指摘され精査目的にて受診した方だった。胃体下部
の前壁に襞の集中を伴った潰瘍性の病変が疑われた。
「胃カメラの検査をするように言われました。」彼は
言った。「そうですね。胃の下の方に潰瘍があるようです。
良性のものと思いますけど、内視鏡で見て組織をとって
調べた方がよさそうですね。」「分かりました。お願い
します。」後日、上部消化管内視鏡を施行した。見た感じ
は襞の断裂や蚕食状の潰瘍の広がりからは悪性の印象を
持ったが、物はそんなに大きくない。内視鏡切除は難しい
が手術で充分取りきれそうに思われた。
 「潰瘍性の病変が胃の下の方に認められます。見た感じ
はやや悪い印象があります。万一悪いものだとしても
手術で充分治療できそうです。」「それは悪性腫瘍という
ことですか?」「その可能性があるということです。組織
を何箇所が取らせていただきました。その結果をまた
ご説明いたします。」
 生検(組織をつまんだものを顕微鏡でみて病理医が診断
を下す検査)の結果は高分化腺癌であった。
(次回につづく)
【2005/03/15 21:43】 澄んだ青空 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブランド病院を求めて(6)
 次の日の朝には、すでに血圧も低下してきており、尿量も
減少してきていた。彼女の意識はすでに遠のいている状態で
あった。午前中の外来をこなしている時に病棟から連絡が入る。
「先生、心拍数が30台まで落ちました。病棟に上がってこれ
ますか?」外来をとめ、他の先生でよさそうな患者さんを
他のボックスで外来をやっている先生に頼み、自分がみな
くてはならない患者さんには待ってもらうことにして病棟
に上がる。病室に上がって10分も経たない間に心停止となる。
「午前11時○○分、死亡確認。」彼女は誰にも看取られる事
なく独りで旅立っていった。ある看護師はいった。「憎たら
しい人だったですけどこうなるとなんともかわいそうな人で
したね...。」生前はそれなりに事業にも成功し、金回りも良
かったようだが、最後には周り家族も友人も誰もいなかった。
ご遺体の処置を看護師にお願いし、彼女の兄に連絡した。
「お亡くなりになりました。本日の11時○○
分です。」彼は言った。「そうですか、お世話になりました。
家内をいかせますのでよろしくお願いします。」彼女の遺体
は親族に引き取られるまで霊安室に安置され、名古屋に運ば
れた。実家の墓には入れてもらえたようだが、なんとも寂し
い人生の終焉であった。


 明日は当直なのでブログお休みします。明後日もアップする
体力が残っていればアップしますがつらければ2日お休みする
かもしれません。いつも見て下さっている方には申し訳あり
ませんが、引き続きご高配のほどお願いいたします。
 
【2005/03/13 21:06】 ブランド病院を求めて | トラックバック(0) | コメント(1) |
ブランド病院を求めて(5)
ある朝、悪寒と共に39度の発熱に彼女は襲われる。黄疸が急激
に出現してきた。閉塞性黄疸だった。肝門部のリンパ節の腫大
と肝門部への肝転移により肝臓で作られた胆汁が十二指腸に流れ
ていく胆管を閉塞した状態で、ここに細菌感染をおこし胆管炎を
起こした。ただちに食事を止め、抗生剤の投与を開始した。
 胆管は右の肝臓からの胆汁を集める右肝管と左の肝臓から胆汁
を集める左肝管が合流して総肝管となり、これに胆嚢との交通路
である胆嚢管が合流して総胆管となるが、左右の肝管の合流部と
総胆管までの間が狭窄している状態であった。左右から胆汁を
逃がすPTCDtube(経皮経肝胆管ドレナージチューブ)が挿入さ
れた。一旦は治療に反応したものの急激に肝機能が低下し
てきた。一向に改善が見られない経過の中で彼女は言った。
「もう私はだめね。居もしない家族の意見を言い訳にして
紹介状かいてもらってブランド病院を求めて色々治療したけど
だめだっていわれて見捨てられてるんですもの。結局、手術
を断ったこの病院に担ぎ込まれて死んでいくなんて皮肉よね。
 しかもだれも見舞いに来ないし私の人生って一体なんだった
んだろう。自業自得ね。先生にもえらい迷惑かけたわね...。」
 彼女の衰弱は進み意識も次第に低下してきた。彼女の死はもう
避けられないことは誰の目にも明らかであった。この状況では
家族に連絡するしかない。私は名古屋の彼女の兄に電話をかけ
た。「突然で、申し訳ありません。私、東京の△△病院の外科
の○○というものですが、じつはあなたの妹さんの□□さんの
件でご連絡差し上げたのですが..。」「それはもううちとは関
係ないですよ。もう何十年も連絡もないし。」「そうはいって
も他に身寄りがないようなので病院としても困るんです。実は
大腸癌の末期で当院に入院されて、今かなり厳しい状態なんで
す。遠いところ申し訳ないんですが、一度東京まできていただ
けますか?」「今日すぐは無理ですよ。明後日ならなんとか
都合がつくかな。」私は少しいらつきながらそれでも感情
を押し殺しいった。「どんなことが過去にあったか知らない
ですけど、一応血を分けた兄弟でしょう。妹さんが亡くなる
かもしれないんですよ。こちらとしてもこのままでは責任
を取りかねます。」彼は言った「ともかく明後日までは無理
です。もしもの場合は連絡くれれば身内のだれかをいかせ
ますから。病院さんには迷惑かけませんよ。」「もしもの
時は誰も間に合わないかもしれないですよ。」「それは
仕方ないでしょう。ともかく明後日東京にいきますから、
それまでに何かあれば連絡してくれればやらなきゃならない
ことはやります。」彼は他人事のように冷静な答えであった。
 彼らに過去一体なにがあったというのだろうか。
(次回につづく)
【2005/03/12 21:51】 ブランド病院を求めて | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブランド病院を求めて(4)
「もちろん状態を良くしようとは努力していますけど、今
の状態はあまりいい状態ではないです。ご家族に連絡させ
ていただかないと困るのですが。」「もう兄弟とも何十年
も連絡とってないし、いまさら連絡しても向こうも困るって
いうに決まってるわよ。連絡が必要だったら自分で連絡します
勝手なまねしないで。」聞く耳をもたない感じであった。
 患者が拒否すればご家族に連絡をとるわけにもいかない。
 少なくとも彼女に判断能力が残されている間は。しかしな
がら彼女が亡くなった時に家族にどうして連絡を入れなかった
とクレームやトラブルの元になるのは避けなくてはならない。
「わかりました。しかしながら後からどうして連絡してくれ
なかったと問題になることもあるので、ご本人がご家族に連
絡しないでくれという意思を病院側に伝えていたことに関して
は書類にさせていただきます。それができなければ連絡させ
ていただかざろうえません。」「解ったわよ。書類でもなん
でも書くから。こっちは苦しいのよ。さっさとよこして。」

 幸いにも対症的な治療で本人の苦痛はある程度軽減するこ
とができた。酸素もはずれ、むくみもとれて病棟内を歩行
できる位には改善してきた。少し余裕がでてきて次第に
看護師や私にも身の上を漏らすようになってきた。実家は
名古屋でそれなりの資産家だったらしい。20代のころに父親
が若くしてなくなり、家族の間で遺産の件でかなりもめた
らしく、本人は嫌になって東京にでてきたらしい。その
しこりで実家とは全く連絡をとっていないというのだ。
 東京にきてからアパレル関係の仕事をみつけ、独立して
小さいながらも会社を興して経営していたが、ずっと独身
でいたこと。金回りは良くなったが頼る人間がいない状態
であったらしい。「現金なもんで、仕事やってたときは
色々人がよってきたけど、ここのところ病気で仕事を縮小
していったらどんどん周りから人がいなくなってね。
周りの人たちが家族が見舞いに来てるのみると、私は一体
何やってたんだかと思うよ..。」と彼女は看護師にもらした
という。少し食事も食べられるようになり、痛みも麻薬の
貼布剤でコントロールできてきた。これなら一回帰れるかも
というような状態になってきた。だがそこまでだった。
(次回につづく)
【2005/03/11 22:39】 ブランド病院を求めて | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブランド病院を求めて(3)
 数日後、自宅で動けなくなって彼女はこの病院に搬送されて
きた。どうやら他の病院の外来に翌日いったらしいが、治療
できないといわれて帰されたらしい。そのまま家で粘っていた
らしいが動けなくなった。救急車を要請し、結局一番
自宅に近い当院に搬送されてしまった。救急当番の先生が最初
にみて大腸癌の終末期で、紹介状をかいている外科の私に当然
話が回ってくる。いままでの経過からは正直いわせていただい
て係わり合いになりたくない患者さんではあるが、腹水も溜ま
って、胸水も溜まって呼吸困難も起こしている状態で運び込ま
れては家に帰せない。入院にするしかない。「このままでは
帰れないですね。入院でみさせていただいた方がよさそうで
すね。」「そうですか。ともかく苦しいので楽にして下さい。」
 外来で入院を勧めたのに、キャンセルして他のところに行こう
として紹介状をよこせと外来で騒いだことなど忘れた感じで
悪びれもなさそうだった。酸素投与を行い、点滴を開始。
 レントゲンでは右に多量の胸水があり、呼吸状態があやうい
と判断しトロッカードレーンを挿入し排液する。利尿剤の
投与を開始。痛み止めに塩酸モルヒネを点滴、注射から使用
して何とか苦痛をとることに努めた。とりあえずの処置を終え
看護師に「病状を家族に説明したいんだけど、付き添ってきて
るよね。」聞かれた看護師は答えた。「いえ、独り暮らしって
聞いてますけど..。」「えっ。だれに病状を説明しとけば
いいのかな。」「ご家族は名古屋の方にいるらしいですけど
ほとんど連絡とってないそうです。」「そう。でも下手すれば
明日にでも急変するかもしれないような状態だから..。連絡
しないわけにはいかないよね..。」やむなく本人のところに
いく。一応の緩和治療は効を奏して本人は少し楽になったよう
だった。「○○さん。病状についてご家族にお話しなけらば
ならないので連絡をしたいんだけど。」彼女は言った。
「家族には連絡しないでください。」
(次回に続く)
【2005/03/10 22:54】 ブランド病院を求めて | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブランド病院を求めて(2)
 次の日にその人から入院の手続きのキャンセルの連絡が
きた。ついでに別の病院に受診するので紹介状を明日まで
に用意してくれとの連絡だった。その連絡をうけて私に
看護婦から手術中に連絡がきた。その日は2つの手術が連続
して入っていた。「紹介状といったって前の病院から来た
ばかりだし経過をこちらも充分理解してないし、いきなり
今日の明日といわれても用意できない。せめて明後日まで
まってもらうように言ってください。」と伝えてもらうよ
うにたのんだが頑として聞き入れないという。外来でかなり
怒鳴り声をあげ外来業務が停滞して困ると再三の電話が
手術室にかかってきた。私は不機嫌に「わかりました。
書いておきますと伝えてください。」と外来の看護婦に
伝えた。彼女は「なんだできるなら最初からそういえば
いいじゃない!」捨て台詞を吐き捨てて帰ったらしい。
 私は手術を終え、患者さんのご家族にお話し、他の入院
患者さんの回診を病棟の消灯時間前に終え、標本整理と
手術記録記載をして術後患者さんの処置を終えて日付が
変わろうとしているときに警備室から外来の鍵を借り、
外来カルテを取り出して、前に紹介した病院の紹介状
を参照しながら紹介状を書いた。
(次回につづく)
【2005/03/10 00:01】 ブランド病院を求めて | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブランド病院を求めて(1)
 最近は自分の病院で見つけた癌の患者さんも、ここでは手術
しないといってインターネットや雑誌で調べて癌センターや癌
研に行きたいと言う患者さんが増えてきている。ある東京の
中規模病院に勤めていた頃もそういう患者さんがパラパラいた。
 上行結腸に癌が見つかった50代の彼女も結果を説明し手術
が必要な旨をお話したところ家族がどうしてもというのである
ブランド病院に紹介してくれといってきた。その病院までは
電車を乗り継いで結構通院も大変そうだったが患者さんの希望
なら仕方がない。紹介状を書いて行ってもらった。1年経って
彼女はその病院からこちらに紹介されてきた。紹介状には
平成○年○月○日右結腸切除術(D3)施行 SS n2 stageⅢb根治
度A、その後補助療法として以下の治療を...
 △月ごろより右下腹部に腫瘍を触れるようになり腹水が貯留
体力の低下もあり当院への通院は困難であり、化学療法も有効
性が認められず、肝障害も出現したことから継続も困難のため
緩和医療を目的としてよろしく御高診下さい。と書かれて
あった。早い話がもううちで治療の余地なく、もうやること
がないからそちらで診てくれということである。
 彼女は力なく言った。「向こうの先生がうちは治療の必要な
人のための病院だから。うちではもうやれることはないし
退院してもらって通院はこちらまでは無理だから紹介元の
こちらに行けといわれまして...。」「そうですか。あちらも
そうしないと回らないんですよね。手術と抗癌剤の治療を
あそこで受けたいという人が押し寄せてきますから。治療
の余地のない人は大体帰されてきますよ。」「そうみた
いですね。」「今の状態で家にいるのは大変でしょう。
早めにベットあけて入院にしますから。」「解りましたお
願いします。」
 ある年の夏の日のことだった。
(次回に続く)
【2005/03/08 22:49】 ブランド病院を求めて | トラックバック(0) | コメント(0) |
不条理な結末(7)
 昨日は緊急手術で帰れなくなってアップできません
でした。突発的な更新停止は当直か夜間呼び出しで
今後もあるかもしれません。細めに見てくださって
いる方にはすみませんがご勘弁ください。

 それから3ヶ月後、わざわざ奥様が挨拶にやってきた。
 49日もすぎ、第二子も無事に誕生したとのことであった。
 大変な中ご丁寧にと思ってご挨拶をさせていただいた。
 「実は主人が亡くなる前に手紙を残してくれて私に内緒で
会社の上司に預けたらしく、一応先生にもお見せした方が
よいと思って..。」
 「でも大事なものでしょう。私が見させていただいて宜しい
のですか。」「その方がいいと思うんです。」
 渡された手紙にはしっかりした几帳面な字で彼の思いが
したためられていた。多分、良くならない病状に覚悟を決めた
のかもしれない。意識が無くなる前に残したものだろうと
思われた。その中で彼は生きたかったがどうやらそれは難しい
ようだと感じ、残される家族に本当に申し訳ない旨が書かれて
あった。「多分、俺はもう駄目なんだと思う。色々先生も
頑張ってくれてはいるが一向に病状は良くならない。意識
が無くなる前に伝えておかなくてはならない。必死に付添
ってくれるお前にもう俺は駄目だろうなんて言えない。言
える訳がない。だから文で残す。今まで本当に一緒にいて
くれて有難う。そしてお前達を残して先に行かなくては
ならないことが申し訳なくて仕方がない。本当にすまない
と思う。新たに生まれてくる子供の顔も見れないかもしれ
ない。親としては失格だ。本当に無念だ....。人は意思と
関係なく死んでいく。死とは本当に不条理な結末だと思う。
 だが自分が死ぬと感じたとき、本当にお前達がいとおしく
感じられる。だから今自分ができるかぎりの事をしたい
と思う。」
彼は気丈にも残された家族のために彼が死んだ後の様々
な手続きの指示をしたためていた。奥様にも内緒で会社の
上司と相談し、(奥さんにも内緒で上司に多分もう駄目
なので自分が死んだ後の退職金の扱いなどを相談していた
らしい。)彼の死亡後問題の無いようにしてある旨綴って
あった。自分の葬式の指示までされていた。
 そしてその後の一文にはこうかかれてあった。「生まれて
くる子供には○○(それは私の名前だった)と名付けて欲
しい。」一瞬目を疑った。「これって..。」「そうなんです。
事後報告ですけど。」彼女は微笑んだ。「多分、主人なり
に感謝してたんだと思います。」私が何をできたというの
だろうか。私は一度たりとも彼らにいい知らせを伝えたこと
はなかった。何度これで病気が治りますよと言ってあげたい
と思ってきたことか。話さなくてはならないことはいつも
近くに不気味な影が迫ってきつつあることだった。
 そして死亡宣告である。一番彼女にとって辛い場面に
私の一言が永遠に刻み込まれたはずなのに。
 「いいですよね。もう出生届は受理されてるし、先生が
だめだっていっても手遅れですから。」
 彼も強い人だったが、この人も強い人だと思った。小さい
子供を二人抱えて大変だと思う。でも彼女はきっと乗り越えて
いくのだろうと思った。「大変ですけど、彼は大切な宝物
を2つも残していってくれましたから。子供達がいることが
彼がいたことの証なんです。主人を誇りに思っています。
だから私がしっかりしないと主人に恥をかかせることになり
ますから。」彼女は丁寧にお礼を言い残し帰っていった。
【2005/03/07 22:56】 不条理な結末 | トラックバック(0) | コメント(2) |
不条理な結末(6)
 それはある春の日のであった。彼の意識はすでに混濁して
おり尿量も極端に減っている状態であった。血圧も次第に低
下してきており朝の時点でいつその時がきても不思議ではな
い状態となっていた。その日も私は予定手術が入っていた。
「術中に連絡がくるかもしれないな。」と思い、外回りの先生
に急変時の対応とお願いして手術に望む。この人も胃癌であ
ったが比較的早期で手術で根治が望める。彼とは対照的な患者
さんだった。手術もトラブルなく終了し、ご家族にその旨お話
して安心されたことを確認する。一通りの術後の観察を行って
いる時に病棟から連絡が入る。「先生、心拍数が低下し呼吸も
止まりそうです..。」慌てて病棟の彼の元に駆けつけた。
 彼はすでにあえぎ様の呼吸となっており心拍数は30台となっ
ていた。間もなく心肺停止。脈がなくなり、心音が消失し、瞳
孔の散大を確認し私は告げた。「よく頑張られましたが、本日
午後3時43分死亡確認とさせていただきます。ご家族の方も本当
にお疲れ様でした。」身重の体で付き添っていた奥様は覚悟し
ていたとは言え身を切られる思いであったろう。
 だが彼女は感情を押しとどめて気丈にも静かに答えた。
「こちらこそいろいろお世話になりました。本当に有難うござ
いました。」
一体、私は彼らに何が出来たのだろうか。
(次回に続く)
 
【2005/03/05 21:06】 不条理な結末 | トラックバック(0) | コメント(0) |
不条理な結末(5)
 次の受診日に彼に採血の結果を報告し、状況の評価を行う
ためにCT検査を行った。
 腹部CTでみると少量の腹水と一部腸管の拡張像が認められ
肝臓にも影がみとめられた。
 癌性腹膜炎と肝転移である。薬を加えて2剤併用の治療を
行うがあまりはかばかしい効果は認められなかった。
 いよいよ食事が食べれなくなり、お腹に腹水が溜まった
状態で彼は再入院となった。序々に体調を崩していく彼に
何度が私は入院を勧めていたが、彼の中で次に入院したら
帰れるか分からないと思っていたのだろう。彼はいつも「入院
はしません。まだ家で頑張れます」と言っていた。今回は本当
に辛かったのだと思う。彼は自ら入院したいといってやって
来たのである。食事を止め、点滴を行い痛み止めの薬剤を
使用しようやく彼は人心地ついたのだろう。彼は私に笑いな
がら言った。「ざまあないや。情けないね。」

 もはや私に打つ手は残されていなかった。ただ彼が衰弱して
いくのを見守るしかなかった。彼も覚悟が決まっていたのか
もしれない。特に誰を責めることもなく辛くあたることも
取り乱すこともなかった。時だけが静かに流れ、彼の病状は
悪化の一途をたどっていった。意識が混濁し、その時がせまり
つつあることは誰の目にも明らかになっていく。
(次回につづく)
 
【2005/03/04 21:01】 不条理な結末 | トラックバック(0) | コメント(0) |
不条理な結末(4)
経口の抗癌剤であるTS1にて化学療法が開始された。大きな
副作用もなく引き続き外来で治療を継続する方向となった。
 「手術も無事に終わりました。これで充分治癒が望めます。
よく頑張りましたね。」こう言うことができるのであれば
どんなに気が楽だろう。しかしそんな事ができるわけがない。
 現実をご家族にお話しなくてはならない。退院の数日前に
私は彼に内緒で奥さんを含めて、ご親戚の方も集めてお話し
する場をもうけた。「状態としてはかなり病気は進んで
おり、できる限りの治療を行うつもりではあるが再発は必至
だろうと考えています。いずれにしても厳しい状況である
のは間違いないです。」奥さんは言った。「そうですか..。
率直なところどれ位持ちますか?」少し黙った後私は答えた。
「多分数ヶ月でしょう。年単位は難しいと考えます。しかし
ながらうまく薬が効いてくれる可能性もあります。できる
かぎりのことはさせていただくつもりです。ご家族の方は
あまり状況は楽観視できないのだということをご理解して
ください。」

 退院後、彼の病状は幸いにも安定していた。手術して4ヶ月
定期の外来に彼は訪れた。TS1の治療は4クール目に入ろうと
していた。「まあ手術前に比べると体力は7割くらいかな。でも
仕事も復帰できたしまずまずではないかと思ってます。」「そ
うですか。特に変わったことはないですか。」「大丈夫そうで
す。食事も食べられますし、排便も調子いいです。」「それは
よかった。」「二人目がもうすぐ生まれますしなにかと入用で
すからがんばらないと。」「そうですね、今何ヶ月ですか?」
「8ヶ月に入りました。」「そうですか。でもくれぐれも無理
の無い様に。」「分かってます。大丈夫ですよ。」手術して
ある程度時間が経ち、仕事にも復帰できた。幸いにも薬の副
作用もなく彼も希望を持てるようになった様だった。
 しかし現実はあくまでも冷酷である。この日の採血の結果で
術後正常化していた腫瘍マーカーの値が再度上昇してきている
ことが確認された。それは病魔が再び彼の体の中で暴れ始めよう
としていることを示していた。
(次回に続く)
【2005/03/03 22:49】 不条理な結末 | トラックバック(0) | コメント(0) |
不条理な結末(3)
 開腹し腹腔内を検索する。CTの所見通り腫瘍は胃の後壁から
膵臓に浸潤しているらしく後壁は固定されているが肝転移や
腹膜播種はない。腹腔内洗浄細胞診を行い、十二指腸を膵頭部
ごとKocher授動して下大静脈と腹部大動脈を露出して大動脈周囲
のリンパ節の腫大ないのを確認した。とりあえず見た所、問題は
膵頭部への直接浸潤だけのようだった。「行けそうですね。」
私は前立ちをしてくれていた上司に言った。「取りにいくか。」
「取っても多臓器浸潤ありのSiでstageⅢbです。厳しいとは思
いますが可能性にかけたいです。取りにいきましょう。」手術は
予定通りに行われた。術後は大きな合併症もなく彼は概ね順調に
回復していった。しかし後日戻ってきた腹腔内細胞診の結果に
私はがっくりさせられることになる。(このとき勤めていた病
院は病理医が常勤でおらず迅速細胞診はできなかったので外注
の結果が戻るのに時間がかかった。)その結果はClassⅤであ
った。それは手術時にすでに癌細胞がすでに腹腔内にばら撒か
れていることを示していた。状況は予想以上に厳しかった。
 なんらかのかの抗癌剤での治療が必要だった。
 術後2週間ほど経過し、食事もとれるようになり、大きな手
術を乗り切って安堵の表情を見せてきた彼にその旨を話さなく
てはならない。奥様もおよびしてお話の機会をつくった。「ま
ずは手術をうまく乗り切りました。本当におつかれさまでした。」
「有難うございます。どうなるかと思いましたが
なんとか先生のおかげで。」「ところで手術で見える範囲の
癌は取りきってきましたが、お腹を開けて最初にお腹を洗った
生理食塩水を顕微鏡の検査に出したのですがそこから癌細胞
が検出されています。」「それはどういうことですか?」
「すでに腹腔内、つまりお腹の中に癌細胞がばら撒かれて
いる状態であるということで、目に見えない癌細胞が残って
いるということです。これらをたたくために抗癌剤の治療が
必要になります。」彼は少し黙って私に問いかけた。「それ
で僕の病気は治るのですか..。」私は少し間をおいた。あなた
の病気は治るのが難しい。多分無理だろう。誰が好き好んで
まだ若すぎる彼にそんなことを伝えたいと思うだろうか。
 私は静かに伝えた。「完全に治すのは難しいと思いますが
できるかぎり進行を遅らせることはできると思います。現状
においてできる最善のことをさせていただきたいと思ってい
ます。」彼は少し黙ってから言った。「わかりました...。
先生、僕は死ぬのは怖くないんです。私の兄は12の時に病気
で死んでます。人はいつかは死ぬんです。人には寿命っての
があるんですからそれが早いか遅いかだけのことです。先生
が神様でないことも、それでも一所懸命やってるのも充分解
ってる。でもね先生私はまだ死ぬわけにはいかないんです。
妻と子供たちの為にもまだ死ぬわけには絶対にいかないんで
す....。」
少しでも長く効いて欲しい。再発の所見が出てきて来ない
で欲しい。私は祈るような思いで彼の化学療法を開始した。
【2005/03/02 23:03】 不条理な結末 | トラックバック(0) | コメント(0) |
不条理な結末(2)
 上部消化管の生検結果はpor1(未分化型腺癌)であった。腹
部CT上は明確な転移はない。腫瘍の首座(腫瘍の存在する場
所)は後壁(背中側)で胃の後ろにある膵臓の頭部に腫瘍が
食い込んでいる様に思われた。この部位の膵臓を同時に切除
するとなると膵頭十二指腸切除になる。患者は30代。高齢者
なら胃十二指腸バイパスで逃げるところだが...。
 「内視鏡で取った組織の結果がでました。やはり悪い細胞
が認められています。」本人と同席した奥様に私は言った。
 「それは癌ということですか。」「そういうことになりま
す。かなり大きくて、胃の壁を食い破って後ろの膵臓に食い
ついている可能性があります。膵頭部と言われるこの部位は
丁度交差点のように胆管や膵管、門脈や上腸間膜動脈などが
複雑に入り組んでいてこの部位を切除するとなるとかなり大
きな手術になります。ただCTでわからないような腹膜播種と
言われるような広範な腹腔内の転移を認めた場合は切除の意
味はないと考えて、胃の狭い部分を回避するバイパス術だけ
して戻ってきます。」手術の詳細、合併症など一通りの説明
を聞いた後彼は言った。「解かりました。先生にお任せしま
す。ところで先生一つお願いがあります。」彼の目は真剣だ
った。「お腹を開けた結果がどうであってもすべてお話して
ください。」少し間をおいて私は答えた。「解りました。ど
んな結果であっても事実をお話します。でもどんな結果であ
れ我々のできる限りのことはさせていただきます。」
 奥様は二人目の子をお腹に宿していた。彼の負っている責
任を考えたとき可能性があるなら何とか助けたかった。
 そして手術の日を迎えることになる。
(次回につづく)
【2005/03/01 21:32】 不条理な結末 | トラックバック(0) | コメント(1) |
藪医者の独り言


ここに記載されたエピソードは著者の体験をもとに構成したフィクションです。 このページはリンクフリーです。気に入ったら適当にリンクを貼っていただいて結構です。


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