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誤報(1)のエントリーは11月26日付けです。最初から読む方はカレンダーで11月までたどって26日をクリックすると誤報(1),(2)のエントリーに入れます。あとは順々に日にちをクリックしていってください。

(モデルにさせていただいた誤報事件に関しての2chの過去ログ保存していたものアップしました
医者板の過去ログ→こちら
ニュース速報+板の過去ログ→→こちら
この事件の理解の参考となれば幸いです。当時の記事などが引用されている部位もありますのでm3掲示板も閉鎖された今、資料として貴重なものとして保存してあります。)
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花菖蒲(22)
 今日は帰りが遅くなりました。ぎりぎりの更新です。
 乱筆申し訳ないです。

 次の日の朝、回診に彼の部屋を訪れた。私は「おはよう
ございます。」と声をかけたが、彼はもごもごと返事をして
目をあけようとしなかった。体を触ると触ってわかるような
高熱であった。ふとみるとやや皮膚全体が黄色みかかって
いた。胆道感染か、あるいはまた尿路感染か...。血液培養
と血液検査をとる。体温を測定すると38.7度の発熱であった。
 採血の結果は炎症所見を示す数値と肝臓、胆道系の酵素の
上昇が認められた。肝臓で作られる胆汁は胆管というところ
を通って消化液として十二指腸に流れ込む。この経路のどこ
かが癌で食われたか、あるいは、肝臓に転移した腫瘍が大きく
なって肝不全になってきているのか、いずれにしても胆汁の
流れがわるいところに細菌が感染したものと考えられた。
 肝臓の状態が悪くなると肝臓の解毒機能が低下して肝性昏睡
という状態になることがある。この肝性昏睡の重症度の
一つの指標となる血中のアンモニアの値も上昇してきており
彼の意識混濁は肝臓の機能低下にともなう肝性昏睡と考えら
れた。ただちに抗生剤の投与とアミノレバン(肝性昏睡を
軽減する点滴製剤)、強ミノ投与し治療を開始した。
 ご家族に連絡をとってもらい、外来が終わる昼ごろに説明
するのできてもらえるように看護師にいって連絡してもらう。
 必要な処置を行い、他の受け持ち患者さんを見回り、今日
中に出さなくてはいけない処置伝票や点滴伝票、処方箋など
の書類を慌ててさばいた後、私は外来におりなければなら
なかった。彼の事は気になったが外来には30人を超す患者さ
んが待っており、彼らの対応をしなくてはならない。外来中
に状態が急激に悪くなるようであればすぐ連絡をしてもらう
ように看護師にたのみ私は外来に向かった。
 山積みになった外来カルテの束をみてフッーとため息をつ
いた後、私は最初の外来患者の名を呼び呼び入れた。
(次回につづく)
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【2005/05/30 23:58】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(2) |
花菖蒲(21)
 奥様の話だと1日目は移動だけにして充分ホテルで休ませた
後、2日目の午前中にあやめ祭りにいったという。人ごみは
あったが天気は上々で花菖蒲も見事であったという。彼は
毛越寺で奥様に紙にこう書いて渡したという。「本当に来れ
てよかった。お前にはいつも迷惑ばかりかけてきて最後まで
辛い思いをさせてすまない。でも本当に連れてきてくれて有
難う。俺には過ぎた女だった。そしてお前を残して先にいか
なくてはならないろくでもない亭主で本当にすまなかった。
ようやく楽させてやれると思った矢先に。なにもできず先
に行ってしまうことになりそうなことが本当に申し訳ない。
そして最後まで支えてくれて有難う...。」奥様は言った。
「もうあの人、覚悟を決めているようでした..。私も意識の
中では分かっていたつもりでしたが、涙が止まらなくなって
しまって。あの人、この3日間つらいとか、苦しいとか一言
も言わなかったんですよ。一生懸命周りに気遣ってたんです。
本人、辛くて、苦しいに決まっているのに..。故郷の人たち
もたくさん会いに来て貰って..。本人にとっては自分の人生
のけじめみたいに考えていたんだとおもいます。先生と看護
師さん達にも色々ご迷惑と手間をかけさせてしまいました
が本当に連れて行ってあげて良かったと思います。先生方
には本当に感謝の言葉もありません。子供達も仕事を休んで
家族を連れて主人と一緒に過ごせました。こんなにゆっくり
皆が集まって一緒に時間を過ごせたのも本当に久々でした。」
 奥様は我々に感謝の言葉を残してその日はお帰りになった。
 私はとりあえず彼が無事に東京に帰ってこれたことにホッと
した。そしてこの帰郷が彼と彼の家族にとって多分、何にも
変えがたい貴重な時間となったのは多分間違いなかった。平日
に3日も仕事を休むなんてあまり考えられないことであろうが、
彼の子供達は自分の仕事より父親の最後の希望をかなえること
を優先した。子供達の父親への思いに改めて敬服するとともに、
その思いが非常に良い形で具現化したことに私は心から安堵
した。最悪の結果となり彼らに後悔を残してしまうことが
私にとっては最も恐れていたことであったから....。しばらく
して彼の病室に回診にいくと、彼は病院にもどってきて疲れが
どっとおそってきたのであろう。満足そうな顔でぐっすり寝込
んでいた。
(次回につづく)
【2005/05/29 20:18】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(20)
 彼の強い意志によってであろうか、彼の全身状態は落ち着いた
状態を保っていた。幸いにも出発の日である6月20日まで大きな
病状の変化はなかった。とはいえかなりだるさもあり辛いであろ
うと思われたが彼は出発のときそのようなそぶりは全く見せな
かった。彼は病院を出るときに私に向かって言った。「先生
じゃ行ってくるから。22日に予定通りここに戻ってくるから
心配しないでいいからね。」私は答えた。「解りました。楽し
んできてください。こっちで待ってますので。何かあれば
連絡ください。」「大丈夫。連絡しなくちゃならないことなん
か起こりはしないさ。生きているうちにもう一度岩手に帰れる
とは思わなかったよ。感謝しています。」彼は車椅子に乗り、
次男が借りてきたボックスカーに乗せられ病院を後にした。
 ここから先は本人とご家族にお任せするしかない。彼から
の不測の事態の連絡がないまま2日間が過ぎるのを祈っていた。
 ある看護師が言った。「先生、何事もなく戻ってこられる
といいですね。」私は言った。「大丈夫。きっと元気に戻って
くるよ。きちっと最後の目的を果たしてね。そう彼は約束
したんだから。」根拠などなかったが、ここ半月にわたって
周りを巻き込み、多分無理だろうと思われた外泊を実現した
彼の熱意と意思の強さを思うと自然にそう思えた。

 21日が過ぎ、22日になった。特に連絡はなく、彼と彼の家族
のことだ。きっとうまくいっているのだろうと思って私は仕事
を淡々とこなしていた。予定の時刻に彼は家族に連れられて
無事に帰ってきた。さすがの彼も長い行程で憔悴の色をかくせ
なかったが私に向かって行った。「ただいま。行ってきたよ
先生。菖蒲がきれいだった。しばらく会ってない地元の連中
とも会えたしもういうことなかったよ。」私は答えた。「それ
はよかったです。よく頑張られましたね。」「少しつかれた
けどね。先生も心配したんじゃないかい。」「心配してなんか
いないですよ。根拠は何もないですが、絶対無事にもどって
くると思っていましたから。」「そうかい。それはどうも。」
 目的を達成し満足した表情であった。彼の表情をみて無理は
あったかもしれなかったが行かせて良かったと私は思った。
(次回につづく)
【2005/05/28 23:55】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(2) |
花菖蒲(19)
 話合いのあと彼のところに行く。私は言った。「○○さん。
岩手に行く話ですが、今の状態で落ち着いていてくれれば
なんとか行けるのではないかと思います。」彼の表情が急に
明るくなった。「本当ですか?本当にいけるのですか?」
奥様が話しかける。「本当ですよ。もちろん状態が急に
変わる可能性はあるけれど大丈夫なら連れて行ってもいい
というお話だったのよ。」私は言った。「もちろんご家族に
かなり協力していただくことになりますが、ご家族も出来る
かぎりのことはするということなので...。とりあえず6月
20日ですか、その日まで頑張ってみましょうという話に
なったんです。」彼は言った。「本当ですか..。とても
うれしいです。有難う先生.......。」
 この日から彼の目の色が変わった。下肢の浮腫と腹水で
歩くのも大変な状態であったが、遠出するのだからとリハ
ビリと称して奥様と病棟を歩行訓練する姿がしばしばみうけ
られるようになった。病気は彼の意思と関係なく進行して
いくのだからリハビリしても回復する余地はあまりないかも
しれないし、余計な体力を使うだけかもしれなかったが、
本人の思い入れと意気込みを大切にすべきと考え彼のやり
たいようにしてもらった。私は彼に「頑張ってらっしゃい
ますね。」と話しかけ、彼は「まあまあです。なんとか
6月20日までにしっかりしなくてはいけませんから。」と
答えた。6月20日に平泉に行くという方向性が決まってから
看護スタッフも家族への働きかけが積極的なものとなり、
奥様をはじめとする家族もその指導に懸命に答えていた。
 腎瘻の処置、尿の廃棄方法、携帯用IVHポンプの使用法
ポンプのトラブル対応、疼痛時の坐薬の使用方法...。
 奥様は夫のために必死になってメモをとり必要な医療処置
を覚えた。家族の熱意がスタッフを動かし、歯車がかみ合い
目標に向かって進んでいった。ある看護師は東京から一関
にいたる新幹線の停車駅の近くの急変時に対応できそうな
病院を調べ上げリストをつくってきた。ある看護師は平泉
まで付き添うことを申し出たが、個別の患者さんを特別扱い
してはならないだろうという意見もあり(今後、このよう
な患者さんが出てきた場合は必ず病院がつきそいとつけなく
てはならないということになりかねない)これは許可され
なかった。私は彼がなにかあってもすぐに病院に駆け込める
ように経過をできるだけ詳細に綴った紹介状を用意した。
 出発の日までに奥様は少なくとも新人の看護師よりも
彼の医療、介護管理に関しては確かな技量をもつまでに
なった。スタッフも教えがいのある生徒だったろう。出発
間際には彼の外出に関しては奥様にまかせて充分大丈夫だ
ろうということに異論をはさむものはいなかった。
 彼の外泊の予定は6月20日~22日の2泊3日となった。奥様
と子供達は現地の知人にも協力をあおぎ事細かな計画を
立てていた。本人の(多分最後の)帰郷はかなり現実的な
ものとなっていった。
(次回につづく)
【2005/05/27 23:05】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(18)
 ご家族をお呼びしお話する。奥様とご長男と次男さん、ご長女
が同席した。挨拶のあと病状の説明を行う。「病状としては
胃癌がお腹の中にばら撒かれた腹膜播種という状態で腹水が
たまっており、後腹膜に這った腫瘍細胞が両側の尿管を詰ま
らせて現在左の腎臓に管を入れてここから尿を出しています。
です。右側の腎臓は現在機能していない状態です。肝臓に転移
した腫瘍も次第に大きくなってきていて病状としては一杯
一杯の状態です。病気に対しての治療と行える状況ではなく
ご本人の苦痛をとる治療に切り替えてきています。明日にでも
急変しておかしくない状態です。」「でも今はなんとか落ち
着いているのですね。」「そうですね、比較的安定した状態
がつづいています。」「主人はどうしても死ぬ前に毛越寺の
菖蒲を見たいといっていますけどなんとかなりませんか...。」
「病状が落ち着いていればやれないことはないと思いますが
かなり危険を伴うと思います。移動時に急変するかもしれない
ですし、結果的に寿命を縮める可能性もあります。その部分を
ご家族が納得していただけるなら方法はあると思います。外泊
時の点滴や腎瘻の管理、痛みが出たときの対応などをご家族に
覚えてもらう必要があります。かなりご家族も大変だと思い
ますがそこまでの覚悟はおありですか?」かなり突っ込んだ
言い方だった。私は奥様の覚悟の程はこれ位で揺らぐものでは
ないだろうと思っていた。いやこれ位の物言いで揺らぐよう
ならもとからやめた方がよいだろう。だが奥様の返事は私の
想像をはるかに超えたものだった。奥様は少し間をおいて
言った。「もとからそのつもりです。子供達ともずっと話
合いました。このまま最後の望みもかなえてあげずに逝か
せてしまっては今後ずっと後悔するにちがいない。出来るか
どうか、それでどうなるかわからない。結果、つらい思い
するかもしれないけど最後のお父さん孝行と思ってなんとか
協力しようと話合いました。責任は私たちが負います。先生
はなにも心配しないで私たちに協力してもらえませんか?」
 予想もしなかった言葉に私は一瞬、虚をつかれた。奥様の
意思と愛情の強さにすがすがしささえ感じた。私は答えた。
「出来る限りの事はさせていただきます。それで申し訳ない
のですが、病院としてはこの外泊は家族が希望して家族が
責任をとるという同意があったことを書面として残して
おかなくてはならないのですがよろしいですか?」「今、
主人を連れて行けると確約してくれるなら悪魔との契約書
でもサインしますよ。先生のお立場はわかります。余計な
気遣いはいりませんから...。」最初は子供達の意見も割
れたという。なにも無理しなくてもという意見もあったら
しい。だが奥様の意思は強く、子供達を説得し、行く予定日
を設定し、仕事も休みをとって父親の(多分最後の)帰郷
に協力する同意を取り付けたという。岩手の知人にも連絡
して向こうでなにかあっても対応できる準備もすすめて
いるのだという。「私が絶対だめだといったらどうする
つもりだったのですか?」私は尋ねた。「先生は絶対だめだ
とは言わないだろうと思っていました。条件をつけてくる
とは思いましたけどね。万が一だめだといってもだまって
病院から連れ出したかもしれませんね。」奥様は微笑みなが
ら言った。
(次回につづく)
【2005/05/26 22:41】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(17)
 一昨日は帰りが遅くなり、昨日は当直で更新が2日間途絶
えてしまいました。今日はバテ気味で早めに帰ってきました。
 寝込んでしまう前に更新させていただきます。いつも突発
的に更新が途絶えてしまいすいません。

 「奥様は移動時になにかあっても自分で責任をとりますと
言ってはいますが、子供達とはまだお話しできていません。
 一緒に話をする機会は持つ予定でいますが。」「ご家族が
責任を持つということであれば止める理由はないでしょう。
 ですがなにかあった時にトラブルがないようにそのような
話合いがなされていることに関しては書類の形で残しておい
て下さい。もし家族の意見が割れるようならやめておいた
方が無難でしょう。それでは次の症例を..。」
 こちらとしては移動時に急変の可能性がある以上、家族が
どうしても本人を行かせたいということであれば、病院側と
しては責任はとれないが家族と本人の責任で行く分には
仕方がないという判断がされたと言う形とし、それを書類と
して残しておくようにという指示である。大体、何かあった
ときに今まで全く見舞いにも来なかった親戚が経過や状況を
理解しないまま騒ぎ出し病院を攻撃するトラブルはよくある
ことでその様なトラブルが無いように手段を講じるように
ということである。しかしながら逆を考えればその条件さえ
クリアーすれば私の判断だけで独走して許可を出したという
形ではなく、スタッフ間での承諾を得た上で彼を岩手にいか
せることができる(もちろん予定の日まで状態が落ち着いて
いればという条件はつくが..。)のである。こちらの立場を
理解してもらって多少不快なものを感じたとしてもご家族に
納得してもらわなくてはならないだろうと私は考えた。
 彼の状態はそれなりに安定していた。できれば彼の希望を
かなえてあげたい。たとえかなり厳しいであろうとしても。
奥様と同様、私もそう思っていた。そしてご家族との話合い
の約束の日がおとずれた。
(次回につづく)
【2005/05/25 20:58】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(2) |
花菖蒲(16)
 私は話合いの時間設定をした上で外科の症例検討会に彼を
提示することにした。「手術症例ではないのですが、今後の
方針を決定するのにご意見をいただきたいので提示したい
症例があります。お時間をいただいてよろしいでしょうか?」
司会を務めている外科部長が答えた。「いいでしょう提示して
ください。」「症例は68歳男性、昨年4月○日にM領域を主座
とする全領域にまたがるBorrmannⅡ型の胃癌に対して胃全摘
膵尾脾切除術(D2郭清)ダブルトラクト再建術を施行し、最終
病理診断はf SS N2 stageⅢa根治度Bでした。術後TS1にて
術後化学療法を開始しました。しばらくは腫瘍マーカーも
正常で再発の兆候は認められませんでしたが、11月にCEA(
胃癌の腫瘍マーカーの一つ)が52.3ng/mlまで上昇、CT上
肝臓に多発転移が認められました。病巣が肝左葉に限局して
いたため12月○日に左葉切除を予定し手術としましたが腹膜
播種があり試験開腹に終わっています。その後TS1をベースと
してシスプラチンやトポテシンなどとの併用療法を行いました
が後腹膜浸潤から尿管狭窄をおこし左の腎盂腎炎をおこし
5月○日に入院となり腎瘻を造設、これで尿路感染のコント
ロールができましたが腹水貯留と食欲低下、癌性腹膜炎に
よるサブイレウス状態でIVH管理となっています。疼痛コン
トロールのため1日60mgの塩酸モルヒネを点滴から使用
中です。基本的には終末期癌の患者で緩和医療に移行して
いる症例ですが、6月の末にどうしても故郷の岩手に一度
帰りたいと本人が希望しておりまして、ご家族もその希望を
かなえたいと強く希望されています。往復の行程での急変
の危険性を考えると私一人での判断で決断できないと判断
しました。ご意見をいただければと思うのですが...。」
「医療管理の面からは可能なのですか?中心静脈栄養の管理
や疼痛コントロールはどうしますか?」「現状の状況で
状態が安定していれば可能かと考えます。IVH管理は在宅
管理用の携帯ポンプを使用し、疼痛コントロールに関して
は現在良好なコントロールを得ておりますのでヂュロテップ
パッチへの切り替えは可能かと、レスキュー(痛みが強く
なった際に臨時に使用する痛み止め)は注射では家族では
困難ですからアンペック坐薬でなんとかできるのではないか
と考えています。腎瘻の管理は奥様でも何とか覚えてもらう
ことにすれば..。」「それだけの医学管理が可能な理解力を
もっているご家族なのですか?」「奥様もしっかりしてい
ますし息子さんも協力的です。明確な目的があればやって
くれる家族と考えています。」「するとあとは移動時に
急変した場合どうするかということですね。近くの病院に
駆け込んでもらうしかないのでは?もし急変した場合、外泊
を許可したために寿命を縮めたとトラブルになる可能性が
あるのではないですか?」
(次回につづく)
【2005/05/22 22:10】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(15)
 私は彼のところに行き話しかけた。「○○さん。奥様から
お話をおききしました。6月の末に岩手にいきたいそうで。」
 「できればね...。多分、どう転んでも俺は今年が最後だ
と思うんでね。故郷の親戚にも会えるのなら逢いたいし..。
だがこの状態じゃ無理だよね。」「状態が今の状態で安定し
ていれば点滴も携帯用の持続ポンプがありますし、点滴の中
に入れている痛み止めも貼布剤に替えて、痛みが強くなった
ときは坐薬を追加することでなんとかなるかもしれません。
ですが距離が距離ですから移動中に何かあった場合のことを
考えると絶対大丈夫だとはいえないかもしれません。」
「なあ先生、どうせこのまま病院にいたって弱っていくだけ
なんだろう。もう俺は死んだも同然さ、だったら一か八か
行かせてくれないかね。途中で死んじまったって俺は構わ
ないんだ。うまいこと一度故郷をおがめれば儲けものだと思
うんだよ。」彼の思いの強さは分かった。だが往復の際に
なにかあったらどうするのか。万が一の事があったとき
どうするのか。その責任を誰が負えるというのだろう。そう
そう簡単に許可できる事ではなかった。私は答えた。「○○
さん。お気持ちはわかりました。ですが今の状態ですぐいい
ですとは言えません。少し考えさせて下さい。」
 私は奥さんを別の部屋に呼びお話した。「○○さんの
お気持ちは解りました。ですが正直申し上げて6月20日まで
に急変する可能性もあります。また今のままで状態が落ち着
いていたとして平泉への往復の間になにか起こった場合の
ことを考えるとすぐ許可できるとは思えませんが....。」
 奥さんは静かに言った。「もし先生が岩手への行程で何か
あった時の責任をどうするのかということだけを問題にされ
ているのならばその責任は私が負いますので...。」「奥さ
ん..。」「主人はどうせ死ぬのなら、死んでもいいから行き
たいと言っているんです。確かに6月下旬までもつかもわから
ないでしょうし、今より状態が悪くなっているかもしれま
せん。行ける可能性自体が低いかもしれませんけど....。
行かせてあげる準備は進めてあげていいのではないですか?」
 「奥さん。それは正論だと思います。私だって行かせて
あげられるものなら行かせてあげたいですよ。でも移動距離と
時間を考えるとかなり危険だと...。とりあえず息子さん達
とも充分話し合っていただけませんか?またお話する時間を
取らせていただきますので。」「先生、主人は危険は承知し
ていると言っているんですよ...。」「解りました。でも行く
にしても奥さんだけでは無理でしょう。息子さん、娘さん達
にも来て貰って改めてお話しましょう。」私は奥さんをなだ
めてとりあえずこの場は引き下がってもらった。
(次回へつづく)
【2005/05/21 21:29】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(2) |
花菖蒲(14)
 左の腎臓に腎ろうをたて、感染した尿を体外に流しだせる
ようにして発熱は次第に落ち着いていった。しかしながら
だんだん食欲が低下していった。少しずつお腹が張るように
なってきた。腹水が序々に貯まってきていた。そのうち自尿
がなくなる。右の尿管が食われ膀胱に尿が流れなくなったの
である。左の腎ろうで排尿はあり、左腎の機能だけでなんとか
なることと幸いにも右の水腎には感染を起こさなかったことか
らこちらに関しては腎ろうをたてないで様子をみることとした。
 食事が摂取できなくなったことで栄養状態が悪化していき
彼はだんだん元気がなくなってきていた。利尿剤をつかっても
腹水のコントロールは困難であった。急激に色々な症状が出現
してきたことで彼も「先生、これは今回はだめかもしれんね。」
ともらすようになった。抗癌剤の治療に関しても出来る限り
やれる治療を受けたいという気持ちも強かったのだろう。多
少の副作用に関しては弱音をもらさなかった彼も今の状態で
の抗癌剤での治療はもう難しいと思うという私の説明に静かに
うなずいた。基本的に本人の苦痛をとることを主眼に考える
治療とすることをご本人とご家族を交えて確認した。
 6月の初旬になったある日、奥様が相談があるのだがと私に
話をもちかけた。「先生、主人に今一番したいことは何?
って聞いたらなんといったと思います?」「さあ?解らない
ですが...。」「もう6月だな。できれば平泉のあやめを見に
行きたいっていうんですよ。もう点滴や尿の管につながれて
足もむくんで歩くのもままならない状態ですし、無理ですよ
ね....。」食事が食べられなくなり彼は中心静脈栄養の点滴
のチューブを入れられ、腎ろうの管が付いていた。腹水でお腹
はパンパンに張ってきており下肢のむくみもあった。腰と背中
の痛みが出現し点滴から持続でモルヒネが注入されていた。
少し考えて私は言った。「考えてみましょう。なんとか方法
があるかもしれません。」正直難しいだろうと思った。話を
きくと毛越寺のあやめ祭りは6月20日からだという。今から
二週間近くあった。その間に急変するかもしれない。東京から
平泉までは一関まで新幹線でいってそこから東北本線に乗り換
えることになる。片道4時間はかかろうか。一関でレンタカー
を借りるとしても人も多いし厳しいのではないか。だが彼の
最後の望みであるのならば何とかしてあげたいと思った。
(次回につづく)

 明日は当直なので更新をお休みします。
【2005/05/19 23:40】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(13)
 手をかえ、品をかえ化学療法を試みる。幸いにも抗癌剤による
副作用は彼の場合それほどひどいものは起こらなかったが治療
効果ははかばかしくなかった。腫瘍マーカーを測定すれば必ず
上昇傾向にあったし、CTや超音波検査では肝臓の腫瘍は次第
に大きくなってきていた。それでも本人は比較的元気で食事
もできており苦痛らしい苦痛はないまま2月、3月、4月と経過
していった。本人は症状がないものの検査データが次第に悪化
しているのに不安はあったが抗癌剤の治療で少しでも病気の進行
を遅くできているのだからと自分を納得させて治療に臨んで
いた。家族と過ごせる最後の時間が出来る限り長く続けばと
私も祈っていた。だが病気は静かに彼の体を蝕み続けていった。
 5月中旬に彼は突然の背部痛と39度台の発熱に襲われ病院
に運び込まれた。救急担当の医師は左の腎盂腎炎と診断し
治療を開始した。腹部エコーでは左の水腎症(尿管(腎臓と
膀胱をつなぐ尿が通る管)がなんらかの原因でつまり腎臓で
つくられた尿を集める腎盂という部分に尿が溜まり腎臓が
腫れ上がってしまう状態)が認められた。CTでも左の水腎症
が認められた。外科管理の患者さんということで救急の先生
から呼ばれた。「左の水腎症ですね。それで腎盂腎炎を起こ
しているようです。右もCT上水腎になりかかっているようで
す。」「そうですね。可能性からすると後腹膜に転移があって
尿管を両側で食っている可能性が高そうですね。」「泌尿器
科に相談しようとも思ったのですが病気の大元は外科の病気
のようですし、先生に一応話しをもっていくのが筋かと思い
まして..。」「分かりました。外科での入院にして、泌尿器
科にこちらから相談しますので。」「いいですか?それじゃ
先生お願いします。」私は彼にところにいって話かけた。
「どうも。○○さん。今回は大分しんどそうですね。」
「いやいや参ったよ。急に寒気と痛みで動けなくなってし
まって..。とりあえず痛みだけでもなんとかしてもらいた
いね。」「わかりました。ところで今回の痛みの原因なの
ですが、どうやら左の尿管といっておしっこを通す管が
なんらかの原因でつまったようです。それで尿が腎臓に
欝滞して細菌感染を起こしたようです。抗生剤で治療を
始めますが、尿を逃がす道をつくってあげなくてはなら
ないと思います。泌尿器科の先生と相談して方針を決めさせて
いただきますので。」「わかったよ。先生にまかせるさ。」
 私は泌尿器科の先生に相談した。左に関しては感染を起こ
しておりなんらかのドレナージ処置が必要だと思われた。
 尿管に膀胱鏡を用いてステントという管を挿入するか
腎ろうといって皮膚から直接腎臓に管を挿入して尿を体外に
排出するかの2つの方法となるが、確実なドレナージ効果を
期待するのは腎ろうの方が良いだろうということになった。
(次回につづく)
【2005/05/18 22:39】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(12)
 年末にかかっており一回彼は退院となった。彼は笑いながら
退院の時にいった。「先生、どうやら最後の正月になりそう
だね。」その可能性は高い。私は微笑んで答えた。「今まで
色々治療頑張ってこられたからおいしいものでも食べて楽し
んで来てください。(食事ができるのもいつまでか分から
ないのだから....。)年明けまたお待ちしていますので..。」
 「なあ先生。」「何ですか?」「ふと思ったんだが、
もし病気にならなかったらどうしてたかなって考えたんだ
がね。結局大したことできなかったと思うんだよ。辛いこと
なんだけど、多分俺にはあまり時間がないんだろうという事
を自覚するにつれてこの一時一時がすごく貴重に感じられる
んだ。すごく不思議な感覚なんだ。近くにいてくれる家族の
存在がすごく有難く感じられるんだ。どれ位の時間があるか
わからないが幸いにも今、痛みもないし体も動く、食事も
食べられる。そのことの有り難味がひしひしと感じられて
精一杯生きてやろうって思いが強くなってきたんだ...。
 なるべく長く先生とお付き合いしたいとは思っているん
だがね...。」「貴方は強い方です。私も結構執念深いです
から。そんなに簡単にはお別れするつもりはないですから。
この顔も見飽きたとおもいますけど出来る限り末永くお付
き合いさせていただくつもりですよ。残念ですがね。」
「全く先生にはかなわないや。」彼は笑って言った。
 病気は確実に今後も進行していくだろう。だか幸いにも
いま症状はなく、食事も食べられている。いつまでいい状態が
つづくかは分からなかった。だがこの状態が続くことを期待し
てやまなかった..。色々な思いが交錯する。
 年があけて彼は元気そうに外来にやってきた。「明けまして
おめでとう。先生。」「正月はどうでした。」「やっぱり
家はいいね。いい正月だったよ。私が病気だってんで親戚中
が覗きにきてね。なんだ全然元気そうだね。心配して損した
よといわれましたよ。」それ言われる本人も複雑な心境であ
ろうなと私は思った。「そうですか。お正月を楽しめたのな
らよかったです。それでこの間調子はどうでした?特に変わ
ったことはなかったですか?」「絶好調ですよ。食事も食べ
られるし、痛いところもないし、本人にとっては特にいうこ
とないんですけどね。」「そうですか。調子がいいのは良い
ことですね。それは良かったです。」体の診察を行った後、
私は彼に言った。「それでは採血をして現在の状況をみて化
学療法の方針を決めますので。」「わかりました。」彼は
答えた。この日の採血でのマーカーの値は昨年の値よりさら
に上昇していた。
(次回につづく)
【2005/05/17 23:20】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(2) |
花菖蒲(11)
 特に術後の経過に大きな問題なく、手術後の回復はまずまず
であった。数日後には食事も開始して本人は調子は悪くない
ようだった。状態が落ち着いてきたところでご家族をお呼び
し、ご本人も交えて病状についてご説明することとした。
 なんとも気が重いことではあったが本人との約束でもあり
奥様もそうして欲しいということであれば本人に事実に近い
ことをお話しなくてはならない。物事がうまくいっている時
の説明は非常に楽であるが、悪い情報を伝えなくてはならな
いというのは非常に心ぐるしいものだ。言葉を選びながら
相手に納得してもらわなくてはならない。だが彼はきっと
受け止められるだろうと思っていたし、そう信じたかった。
 私はご本人とご家族を前にゆっくりと話はじめた。
 「どうもお疲れさまでした。手術のあとは調子がいいようで
すね。」彼は答えた。「ええおかげさまで。」私は続けた。
「実は非常にお話しにくいことなのですが、手術でお腹を
開けた時に肝臓の被膜と横隔膜の腹膜に多数の粒状の腫瘤
が認められました。これは腹膜播種といいまして癌細胞が
広範に腹腔内に散布されたことを示しています。」「それは
手術前に先生がお話された悪い状況の場合と言っていたこと
ですか?」彼は驚くほど冷静に私に尋ねた。「その通り
です。肝臓の癌を手術でとっても癌細胞はお腹の中に残って
しまうのです。ですから肝臓の腫瘍を切除する手術は行って
いないのです。」「つまり今回の手術はお腹を開けただけで
なにもしていないということですか....。」そのことの意味
することは彼なりに理解しているはずだった。「これ以上の
外科的な治療は困難ですので抗癌剤の治療を行って行きたい
と思います。治癒させることは困難であると思いますが、
病気の進行は遅らせることはできると思います。できる限り
のことはさせていただきますので。」彼は少しの沈黙のあと
静かに言った。「わかりました。事実を伝えてくれて有難う。
先生も話しづらかったでしょう。今後とも宜しくお願いし
ます。」取り乱してしまってもおかしくない状況にも彼は
必死に平静を保とうとしていた。そして私に精一杯の気遣い
をしてくれていた。彼が一番つらいはずなのに。
 私は答えた。「こちらこそ宜しくお願いします。」
(次回につづく)
【2005/05/16 23:35】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(2) |
花菖蒲(10)
 奥様の聞かれたことは当然の疑問である。もし抗癌剤で癌の
完治が望めるなら手術をする医者はいない。再発を予防する
ために術後の抗癌剤の治療を行ってきたにも関わらず癌が増大
してきたのである。今後使用する薬を追加したり、変えたりす
るとしても治癒する可能性はほとんどないと言ってよい状況で
ある。私は言った。「確かに今後抗癌剤を使って病状が良く
なる可能性は低いと考えられます。今後できるだけ病気が進ま
ないようにするために治療を行うという考え方になると思い
ます。」「つまり病気が治る可能性はほとんど無いということ
ですね。」動揺があるに決まっていた。しかし彼女は私の話
を理解し現実を必死にうけとめようとしているようであった。
聡明な人である。私は言った。「非常に心苦しいのですが...。
そうご理解していただかざろう得ない状況です.........。」
 一緒に話を聞いていたご長女がすすり泣く。奥様は涙をう
かべながら必死に冷静を保とうとしていた。そして感情を押
さえ込み静かに私に問いかけた。「それで主人にはどれ位の
時間が残されているのですか?」何十年も貧しい生活の中で
支えあってここまでやってきた。彼女にとってかけがえのない
人の余命を宣告するのは正直はばかられた。「はっきりした
ことは言えませんが..。3ヶ月から半年位..。年単位はないと
思います。なにかあればもっと早い可能性もあります..。
 もちろん抗癌剤の治療が効果を示す可能性も全くないわけ
ではありません。」「3ヶ月.....。ですか....。」
 「できる治療は限られてくるでしょうし、いずれ治療も
次第に破綻していく形になると思います....。それでご本人
への説明なのですが....。」奥様は静かに答えた。「手術
出来なかったことに関しては正直に話してあげてください。
 主人は...。どんな結果であれ自分の事だから自分で判断
したいと。最悪の事態であれば限られた時間をどうするか
自分で考えたいと申していました。落ち込むかもしれません
が...。私もついていますので..。」彼女だって辛いはずなの
だ。だが彼女はなにがあっても夫を支える覚悟であった。
「わかりました。術後回復したところで改めてご本人も交えて
お話させていただきます。」私は静かに答えた。
(次回につづく)
【2005/05/15 20:51】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(2) |
花菖蒲(9)
 今日は緊急で呼び出しがあって11時過ぎに帰ってきたので
更新が間に合うか微妙ですが...。

 手術の日の朝、私は彼の病室を訪れた。「○○さん。お早う
ございます。昨日は寝れましたか?」彼は言った。「いまさら
じたばたしても始まらないよ。それに手術の時はこっちは寝
てるだけさ。とりあえず先生に頑張ってもらわないとならな
いしね。」「わかりました。それでは宜しくお願いします。」
「こちらこそ。」彼も私も希望をもって手術に望んだのだが..。
 開腹して前回の手術によってできた癒着(お腹の手術を行う
と大なり小なり癒着が発生する。傷のひきつれのようなもので
腸と腸がくっついたり、お腹の壁と腸がくっついたりする。)
を丁寧にはがしていく。腹壁に癒着した小腸や大腸を丁寧に
はがして肝臓周囲の視野を確保する。肝臓の被膜と横隔膜には
ところどころザラザラした粉を無数に撒いたような病変が認め
られた。「P(腹膜転移)だ....。」それは予想していた最悪
の状況であった。腹膜転移は癌は腹腔内にばら撒かれてそれが
育ってきている所見である。当然肝臓の腫瘍をとっても癌自体
は体に残ってしまう。予定どおり肝切除しても医学的な意味は
薄いことがはっきりした。私は助手に立ってくれた上司に
言った。「このまま閉腹しましょう。」「そうだなそれが
一番いいだろう。」そのまま閉腹し手術を終了した。
 ご家族をお呼びする。「誠に申し上げにくいのですが...。
お腹を開いたところ癌が肝臓のみならず周囲の腹膜に転移し
ていました。肝臓を切ってその部分の腫瘍を切除できても
癌がそのまま残ってしまうので医学的な手術の意味はないと
判断しました。状況を確認しお腹を閉じてきています。」
 少し間をおいて奥様が言った。「それはどういうことで
しょうか?」私はいった。「すでに手術ができる状態では
なかったということです。体力の回復を待ってあとは抗癌剤
の治療に期待するしかないと思われます。」奥様は言った。
「いままで抗癌剤を使って病気が進んできているんですよね。
それで本当に大丈夫なのですか?」
(次回につづく)
【2005/05/14 23:59】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(3) |
花菖蒲(8)
 昨日は帰りが遅くなりアップ出来ませんでした。
 楽しみにされていた方には申し訳ありません。

 2回目の手術を迎えるにあたって本人は比較的落ち着いていた。
 とりあえず1回目の手術も無事にすんでいるし、その時も再発
の話はされていたから本人にとっては再発は想定内の出来事で
あった。でもこれといった症状もないし、苦痛もない。医者が
新しくできた肝臓の病巣に関しては手術でとることが出来るだ
ろうといっているし、やることをやらなくては仕方がない。
 先は長くないかもしれないがやれる治療があるなら武器が
あるうちは立ち向かっていかなくては仕方がないではないか。
 彼なりに腹は座っていた。手術の直前に私はご家族を呼び、
術前検査で見る限りははっきりした病変は肝臓の病変のみで
あったのでなんとか手術でとれるであろうこと、肝臓内の再発
の可能性があるので肝臓にいく動脈に抗癌剤様のポートを挿入
するつもりの旨をお話した。(肝臓にいく動脈に直接に薬を
流せるように、管を動脈に挿入しポートから薬を入れられる
ようにする。)ただし切除は見える範囲で取りきれるという
判断の時でお腹を開けて他に病変があり、手術をしても癌を
残してしまう可能性が高い場合は、そのまま何もしな
いで手術を終了する可能性もあることを説明した。手術の際
の合併症の説明、輸血の説明など行った後、彼は言った。
「まあ先生、先生に任せるよ。やることやってあとは天命を
まつだけさ。だけど手術でどんな結果であれ、ちゃんと
説明してください。俺の人生なんだから自分で蹴りをつけ
ないといけないんでね。」少し間をおいて私は答えた。
「解りました。どんな結果であれ偽りの説明はしない
つもりでいます。」彼は小さくうなずいた。
 そして2回目の手術の日が訪れる。
(次回につづく)
【2005/05/13 22:59】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(7)
 腹部のCTでは肝臓に数個の1cm大の影が散在していた。肝転移
での再発であった。再発の部位は幸いにも肝臓の左葉に集まって
いたので手術が可能かもしれないと思われた。状況をお話しし
なくてはならない。結果を説明する予定であった外来に彼は
やってきた。「どうですか調子の方は?」「特に変わったこと
はありません。食事も食べることができていますし、排便の
調子もいいですよ。」「そうですか。実は前回とらせていただ
いたCTなんですけど。」「ええ。」「実は肝臓に新たに影が
でてきています。」「それはどういうことなんでしょうか?」
「多分、もともとの胃癌の再発、転移だと思います。採血で
いままで正常だった腫瘍マーカーも上昇してきています。」彼は
少し黙ってから言った。「抗癌剤は飲んでますけど...。
また手術ですか?」「可能ならそれがいいと思うんです。幸い
にも肝臓の左側にだけ転移が認められるので取れるんじゃない
かと思うんですよ。」「そうですか....。」「もちろん、手術
となればもう少し詳しい検査もしなくてはならないですし、
お腹を開けて全然状態が違う可能性もありますけど。手術が
可能なら他に癌がでてきていないのであれば手術でいいと思
うんです。」「はあ...。」「手術方向でかんがえさせていた
だいていいでしょうか?」「それが一番いい方法なら仕方が
ないですね。解りました。それで病気は治るんですか?」
私は少し間をおいてお話した。「手術して半年での再発です
からここで手術をしてここをとっても他からでてくる可能性
は高いと思います。その意味では完全に治るというのは難しい
ですが、今の時点では手術するのが一番有効であろうと考えて
います。そして肝臓に関してはまた再発の可能性が高いので
抗癌剤を直接肝臓にいく血管に流し込むリザーバーの留置を
同時に行って、術後にそこから肝臓への動脈注射での治療を
追加するのがよいのではと考えています。手術の説明はまた
検査結果がでそろったところでご家族もお呼びして詳しく
お話いたしますので.....。」私は外来でできる術前検査を
オーダーし、入院日を手術日を設定して彼を帰した。
(次回につづく)
【2005/05/11 23:00】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(6)
 どうも一日お休みいただきました。(まあ仕事していたので
すが...。)眠気に倒れる前にアップしておきます。昨日も
そこそこ患者さんいらっしゃいましたが大きな事や、緊急入院
もなく比較的平和な当直でした。でも正直眠いです...。
 文章が支離滅裂にならないことを祈りつつ..。

 彼が岩手から戻ってきて初めての外来にやってきた。
 私は彼に尋ねた。「どうでしたかあやめは?」「よかった
ですよ。丁度行ったときも天気が良くてね。人ごみは凄かった
ですがね。」「それは良かったですね。調子はどうですか?」
「悪くないですよ。食事もまずまず取れるようになってきま
したし、いい感じです。」「そうですかそれでは診察をさせて
下さい。」特に腹部所見など異常所見は認められなかった。
「調子よいようですね。前回の採血の腫瘍マーカーも正常範囲
ないですし、いまのところ再発の所見も認められていません。
 今日の採血でも血球の減少などは認められていませんし
このまま、今の治療を継続できると思います。」「解りました。
宜しくお願いします。」私は少しほっとして彼を送りだした。
 幸いにも大きな副作用を起こすことなしに経過した。
 2クール目、3クール目と治療を続けた。特に再発の所見も
なく落ち着いた経過であった。このまま再発の兆候なく経過
してくれる事を彼も、私も祈っていた。夏が過ぎ、秋が訪れ
暦が流れていった。11月のある日の外来にいつもどおり彼は
やってきた。「特に変わりないですよ。調子もいいですし
薬のんでもなんともないですから。」「そうですか。今の
ところ薬がうまく効いているんでしょうね。今日も採血で
腫瘍マーカーのチェックをします。それと手術から半年経
ちましたので腹部のCTと超音波で再発がないか確認をして
おきましょう。」「わかりました。」かれはこの日、採血を
しCTと超音波の検査の予約を行い帰宅した。次の日、採血の
検査結果の異常値で検査科から連絡が入る。腫瘍マーカーが
正常の10倍の値となっていた。それは彼の体の中でまた癌が
活動を始めたことを示唆していた。
(次回につづく)
【2005/05/10 22:37】 花菖蒲 | トラックバック(1) | コメント(4) |
花菖蒲(5)
「今の時点では眼で見える範囲では癌細胞は取り除かれていま
すが、顕微鏡レベルで手術で切除した外側に眼で見えない少数
の癌細胞が残っている可能性があるのです。それらの癌細胞に
対して抗癌剤の治療を行っておいたほうがよいだろうと考え
ます。」「つまり抗癌剤の治療を受けた方がよいということ
ですか?」「そういうことです。胃の悪性腫瘍の場合、ティー
エス1(TS1)という飲み薬がありして、これを4週間飲んで、
2週間休薬して1クールになります。これを暫くつづけさせて
いただくことになります。もちろん癌の遺残が証明されている
わけではないので治療をしないで様子をみるというのでも
悪くはないと思うのですが、リンパ節の転移が2群まで認めら
れたことと、リンパ管や血管の中に癌細胞が入り込んでいる
像がありましたので、60代と比較的お若いことも考えると
治療を行った方が安心かと思います。」少し考えて彼は言った。
「解りました。薬は使ってみてください。先生はその方が良い
とおっしゃった。先生にお任せします。」TS1の内服を開始して
もらい、大きな合併症もなく彼は退院した。次の外来の予約
日に彼は元気そうにやってきた。「どうですか調子は?」
彼は答えた。「いまのところ順調だと思いますよ。食事も
いい感じで食べられるようになったし。体重は横ばいですけ
ど調子はいいです。特に薬を飲んでもだるさも吐き気もないし
大丈夫です。」診察を行い、採血で薬の投与に伴う血球の減少
など無いことを確認した。「特に大きな副作用もないよう
です。このまま薬を継続しますね。」「わかりました。
ところで先生、旅行とかって大丈夫ですか?」「特に体調が
つらくなければ大丈夫ですけど...。」「じつは毎年6月の
末は毛越寺の菖蒲を見にいっているんです。」「毛越寺って
すいません。私良くわからないのですが..。」「岩手の平泉
になります。一関の先で盛岡の手前ですね。平泉は中尊寺の
方が有名ですが、私は毛越寺の方が好きでね。事業で失敗し
たとき故郷の知り合いに借金しに回ってね、その時丁度
あやめ祭りの時期でね。あそこには芭蕉の句碑があるんです
よ、夏草や つわものの 夢の後ってね。義経の悲劇を歌っ
たっていうやつです。花菖蒲の鮮やかな青にね、畜生、来年
は胸を張って故郷に帰ってきてまた菖蒲を見に来てやるって
誓ったんですよ。それからどうしても都合がつかない年以外
は毎年いってるんです。」「そうですか、大丈夫だと思いま
すけど気をつけて行って来て下さい。」「有難うございます
先生。ところで先生は来年も私は菖蒲を見にいけると思いま
すか?」突然の問いかけに一瞬外来に沈黙が流れた。私は
言った。「はっきりしたことはいえませんが大丈夫だと思い
ます。そうあって欲しいと願っていますし、そうであるよう
に努力させていただきますので....。」彼は言った。「それ
ならよかったです。それじゃまた宜しくお願いします。」彼は
どんな思いで今年の花菖蒲を見るのであろうかと私は思った。
(次回につづく)

 明日は当直でブログお休みします。気力と体力が残っていたら
5月10日アップしますので宜しくお願いします。
【2005/05/08 22:10】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(4)
 彼の術後の経過はまずまずであった。造影検査で吻合部の漏れ
がないことを確認し食事を開始した。最初はなかなか食事の摂取
量が増えなかったが摂取の仕方のコツをつかんだのか食事開始
1週間くらいでまずまずの摂取量になった。ある程度元気になった
ところで取った胃の写真をお見せする。腫瘍は胃の下2分の1ほど
を占めていた。「あっー。結構大きかったんですね。これじゃ
食事も食べられなくなるはずだ。」彼は写真をみて術前の病状を
納得できたようだった。食事も食べられるようになり、胃全摘後
の栄養指導をうけた。病理の結果が戻る。病理の結果は術中診断
と同様にpSS N2であった。顕微鏡的な所見ではly2 v3(顕微鏡で
リンパ管と血管にかなりがん細胞が入り込んできている所見)が
認められた。術後の化学療法は必要だろうと考えた。
 本人とご家族をお呼びして改めてお話する。奥さんとご長男
ご長女が同席した。「まずは手術後に無事に回復して良かった
です。まずはご苦労さまでした。」「有難うございます。」彼
は答えた。私は続けた。「手術で見える範囲の癌は取りきって
きましたが、顕微鏡の検査では癌は胃の壁は突き破っていな
かったのですが、郭清(手術でリンパ節を切除してくること)
したリンパ節は2群までがん細胞が入り込んでいました。また
顕微鏡の検査ではリンパ管や血管の中にがん細胞が入り込んで
きている所見が認められています。」「それはどういうこと
なのでしょうか?」「がん細胞がリンパ液の流れや血液の流れ
に乗って体中にばら撒かれた可能性があるということです。
 つまり今後再発する可能性があるということです。」
 「再発...ですか。」「こういうたとえ話とするとわかり易い
かもしれません。ここにドラム缶に入った産業廃棄物があると
します。これを取り除くにはドラム缶を退けてしまえば良い
わけです。ところがドラム缶に穴が開いて、廃棄物が空気中
や地中にばら撒かれてしまうと廃棄物は回収できなくなり
ますね。がん細胞も手術で取りきれる範囲内に留まっていれ
ば完全に体からがん細胞を取り除くことができます。早期の
癌が完治できるというのはそういうことなのです。これが
リンパ管や血管の中に癌が入り込んでリンパ液や血液の流れ
に乗って他のところにいってしまうと手術して大部分の癌細胞
は取り除けても、他のところに行ってしまっている可能性も
あるのです。眼で見える数ミリの転移したリンパ節に数億個
の癌細胞がすでにいるわけです。顕微鏡の検査で癌とわかるの
も1センチ立方に数千の癌細胞がいて癌とわかるかどうか。
 顕微鏡のスライドで細胞を見たことがあると思いますが
1スライスの一画面に数万の細胞がならんでいます。(100×
100が1万ですから..。)つまり顕微鏡の検査で陰性とでても
100%そこに癌細胞がないというのは不可能といえるのです。
しかしながら1個でも癌細胞が残っていればどこかで癌細胞は
増えてくるのです。よく癌は5年みて大丈夫なら治癒したと
いえるといわれますが、もともと癌が進行癌でしか見つけら
れなかった時代に5年生存できる人がどれ位いるかで治療効果
の評価をしようと5年生存率がその指標とされていることも
ありますが、5年経ってどこからも再発してこなければ最初の
時点で癌はすべて取り除かれていたと考えられるということ
なのです。つまり顕微鏡の検査の結果でさえも癌が体に残って
いるかは100%確実には言えない。5年経ってどこからも出て
こなければ最初の時点でとりきれていたのだと初めて分かる
のです。なぜなら1個でも残っていれば5年以内にどこかから
でてくるはずだと考えられるからです。」私は続けた。
(次回につづく)
【2005/05/07 23:09】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(3)
 手術目的で彼は入院となった。彼は私にいった。「人生なる
ようにしかならないよ。俎板の鯉さ。先生に任せるよ。」
 そして手術日を迎えた。開腹して腹腔内を調べる。肝転移、
腹膜播種などはない。腫瘍は胃の下部の大部分を占めていたが
後壁からの膵臓への直接浸潤はない。胃の周囲のリンパ節の腫
大は認められたが腫瘍自体は切除できそうであった。Kocher授
動して大動脈周囲のリンパ節の腫脹がないことを確認した。
 とりあえず見える範囲でのものは取れそうであった。まだ
60代と若い、術式として胃全摘膵尾脾切除術を選択することに
した。手術は予定通りに行われた。術中に大きなトラブルは
なかった。手術を終えてご家族にお話する。「手術自体は
予定通り順調に終了しました。眼で見える範囲では腫瘍は切除
できました。しかしながらリンパ節の転移はありそうですので
今後再発してくる可能性は高いと考えられます。実際には
この取った胃とリンパ節を顕微鏡の検査にだして病気の進行
度がはっきりしないと今後の治療の方針は決定できませんが
....。」「再発する可能性もあるのですか?」「手術の所見
ではそうです。もちろん出来る限りのことはしましたが..。
 いずれにしても病理検査(摘出した標本の顕微鏡での検査)
の結果がでたところでまたお話いたします。まずは手術から
回復してもらわないことにはしかたありませんので..。
 まずスムーズに回復していただけると思っていますが、当然
予期しないことが起こる場合もあります。なにかおかしなこと
がありましたらすぐご連絡いたしますので...。」「わかり
ました宜しくおねがいします。」奥様とご長男夫婦を送りだし
麻酔を覚ました患者さんをICUに送り、処置した後、摘出標本
の標本整理を行った。リンパ節を脂肪組織から掘り出し、取り
扱い規約(それぞれの癌には研究会が出している取り扱い規約
があり、胃癌であれば胃癌取り扱い規約というものがある。
日本の施設は大学病院であろうと、がんセンターだろうと
一般病院、公立病院すべてこの規約に沿って診断、手術を
行っている。)に沿って番号が振られているリンパ節に分けて
いく。場所によって転移しやすい部位ごとに1群、2群、3群に
分けられる。この患者さんは2群のリンパ節まで腫脹していた。
 この時点でどんな手術をしても根治度はBである。(手術の
根治性の高い順に根治度A,B,Cに分けられる。)手術時の
診断ではSS N2 stageⅢa 手術の根治度はBであった。
 「多分、再発の可能性が高い。なんらかの術後の補助療法が
必要になるだろうな..。」と私は思った。
(次回につづく)
【2005/05/06 21:58】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
花菖蒲(2)
 術前検査で行った採血では腫瘍マーカー(腫瘍が出す物質で
この値の上昇、下降で病勢の判断を行う)であるCEAは10台後半
(正常値5ng/ml以下)でCA19-9は100台(正常値37ng/ml以下)
であり上昇が認められていた。腹部CT像では肝転移や腹水は認
められなかったが胃の周囲のリンパ節の腫張が認められリンパ節
転移が疑われた。膵臓への直接浸潤はなさそうで手術でなんとか
切除はできそうであった。だが腫瘍自体も大きいし、CTでわか
るリンパ節転移というのは相当である。切除はできても再発の
可能性は高いかもしれない。手術の為の入院前に本人とご家族
をお呼びして手術の説明を行った。奥様と子供達が同伴して
いた。私は椅子を勧め、図を描きながら説明を始めた。「胃の
腫瘍は大きく、周囲へのリンパ節への転移もありそうです。手
術としては胃の全部と脾臓と膵臓のお尻の部分を切除する手術
となります。」「胃全部とその他にもですか.....。」「そうで
す。きっちりとしたリンパ節郭清が必要だと思われますので。
切除したあと下から小腸を吊り上げて食道と十二指腸の切除
断端、切除して吊り上げた小腸の断端をつなげます。ダブルト
ラクトという再建法になります。」私は手術の細かい説明と
起こりうる様々な合併症についてお話した。「多分、この手術
で眼で見える範囲のものは取りきれると思います。お腹を開け
て予想した以上に病気が進んでいた場合は病巣だけはとって
食事が食べられるようにする手術にする可能性もあります。」
「どうしようもなければ何もしないでお腹を閉じることもある
のですか?」
「試験開腹ですか...。可能性が全くないとはいえませんが
すでに食事が食べられなくなってきているのでなんらかの
手立ては打ちたいとは思っています。お腹を開けた時点で
最善と思われる術式を行います。多分取ってこれるとは
思いますが...。」「解りました、お願いします。」承諾書
にサインともらい私は彼とご家族を送り出した。
(次回につづく)
【2005/05/05 18:15】 花菖蒲 | トラックバック(1) | コメント(0) |
花菖蒲(1)
60台後半の男性が胃のむかつきが最近ひどくなったということ
である病院の外来を受診した。内科の担当医はとりあえず胃薬
を処方し上部消化管内視鏡(胃カメラ)の検査を予約した。
 上部消化管内視鏡では胃の下部に潰瘍を伴う腫瘍が認められ
生検(腫瘍の組織をつまみ、その組織を顕微鏡で確認する検査)
し悪性の細胞が確認された。彼は手術が必要だろうとの説明を
うけ外科の外来に回されてきた。「それで内科の先生からは
どのような説明を受けられましたか?」妻と一緒に外来に訪れた
彼は不安そうに話した。「どうも胃に腫瘍があって手術が必要
だとのことで...。」「そうですね。腫瘍からとった組織から
悪性の細胞が認められています。胃の出口が狭くなってきて
いてむかつきの原因となっているのでしょう。いずれにしても
手術で腫瘍を取り除くことが必要でしょう。」「あの、先生
悪性っていうのは癌ということでよいのですか?」「そう
です。病気が胃の中だけに留まっていればいいのですが...。
周りに広がっていると少し厄介です。病気がここだけか
CTなどで調べる必要があります。いずれにしても放置すれば
食事も食べられなくなりますし、なるべく早く手術にした方
がいいとは思います。」「わかりました...。」私は行うべき
術前検査をできるかぎり早いところに詰め込み、手術日をなる
べく早い日に入れた。

 彼は帰りの電車のなかで色々な思いに駆られたという。昭和
30年代の集団就職列車で岩手からでてきた。その日暮らすのも
大変な賃金で印刷工場で働いた。懸命の努力で仕事を身につけ
独立して同郷の奥さんと結婚したがオイルショックのあおりで
紙が手に入らなくなり中小零細業者が次々と倒産していく中、
多額の借金を抱えて廃業。知り合いのつてで就職してがむしゃ
らに働いてきた。2男1女も大学までは出せなかったが独立し、
借金もなんとか払い終えた。子供達は少しずつお金を出し合う
からもうのんびりしてくれと申し出てくれた。だがわずかなが
らの年金と貯蓄でもまあなんとか暮らしていけるからと断った
がその気持ちはうれしかった。妻にも苦労をかけた。ようやく
二人でのんびり第二の人生を楽しめると思った矢先である。
 「なんで俺が...。」理不尽な仕打ちである。だが上腹部を
押せば痛みがあり、医者が言うには手術が必要だという。
 「あなた。大丈夫?」妻が問いかけた。そうだ俺は一人じゃ
ない。妻と第二の人生を楽しむ位の時間を奪うほど神も
理不尽ではないだろう。「大丈夫さ。今までだって一家心中を
考える場面もあった。何度も駄目だと思ったこともあったけど
何とかなってきた。これからだってなんとかなるさ。癌。結構
じゃないか。死に物狂いで戦って生き延びてやるさ。」彼は
妻の不安を打ち消すように言ったという。
(次回につづく)
【2005/05/04 21:50】 花菖蒲 | トラックバック(0) | コメント(0) |
嘘(14)
 多分、彼女は病気がなんであれ先はあまりないことに気づいて
いたのだと思う。病状は客観的にみて日々悪くなってきている。
 取り留めの無い不安に苛まれても、問いかけに返ってくる言葉
は全く真実味のない気休めに過ぎない。彼女は多分もう何を聞い
ても無駄だと悟ったのか二度と自分の病状について聞いてくる
ことはなかった。私は毎日、朝と夕と2回彼女の病室に回診に
いったが、話しかけても型どおりの返事をするだけになった。
 次第に彼女の衰弱はすすんできた。利尿剤を使用しても腹水
が引くことはなかったし、次第に反応も鈍くなってきていた。
次第に尿量も減少し、あと数日かなという感じになっている時
に家族を呼び、病気が進んできたことにより衰弱が進行しここ
数日が山であることをお話した。今まで、声をかければ眼を開
けていた彼女が次第に問いかけにも答えなくなってきたことで
家族も病状の進行に関しては納得できていたようだった。
 今後、点滴からの薬剤の投与などの治療は引き続き継続する
が呼吸状態が悪化したりした際に、人工呼吸器を装着したり、
心臓マッサージなどの蘇生措置は行わないことを再度確認
し(DNAR:Do Not Attempt Resuscitate:延命治療は行わない)
承諾を得た。日を追うごとに血圧の低下が認められ、昇圧剤
を使用しても反応しなくなっていった。呼吸状態も次第に
悪化していき酸素投与しても充分な血中酸素飽和度を保て
なくなっていく。そしてその時がやってくる。午後からの手術
を終えて摘出した標本の整理をしている時に病棟から電話が
かかってきた。「先生、○○さんの心拍数が落ちてきていま
す。呼吸も止まりそうです。」標本整理の手を止め、病棟に
向かう。ずっと付き添っていた娘さんが側にいて「お母さん、
お母さん。」と泣きじゃくっていた。「他のご家族は?」
「弟があと10分くらいでくると思います。お母さん△△
もうすぐ来るからもうちょっと頑張ってよ...。」血圧は
すでに測定できなくなっていた。心拍数は20~30台、すでに
心電図のQRS波も延びてきており心停止も時間の問題だった。
 幸いにも息子さんは間に合った。息子さんが到着して数分
後に心停止する。「よく頑張られましたが、○月×日午後10
時○○分死亡確認とさせていただきます。ご家族の方もお疲
れ様でした。」「有難うございました。」娘さんは涙ながら
に答えた。抗癌剤での治療での症状改善の可能性を試すこと
も手術をして幸運にも家に帰れるチャンスもあったのにそれ
を生かすことも出来なかった。そして何よりも患者さん本人
の不安や苦悩に答えることができなかった。彼女を乗せた車
を見送った時、彼女の「先生私はもう助からんのだろう。」
という必死の問いかけに逃げる様に病室を出てこなくては
ならなかったことが思い出され、なんともやるせない思いが
胸を締め付けた。
【2005/05/03 21:49】 | トラックバック(0) | コメント(6) |
嘘(13)
 みなさんゴールデンウィークいかがお過ごしですか。
 明日5月2日は当直のためブログをお休みします。5月3日に
つづきをアップする予定ですので引き続き宜しくお願いいた
します。


 それはある春の日の朝のことであった。いつもどおり朝の
回診で自分の受け持ちの入院患者さんを診て回っているとき
であった。いつもどおり彼女の病室に入り彼女に声をかけた。
「おはようございます○○さん。調子はどうですか。」
「....。」彼女は目を開けたが無言で答えた。「お腹の
所見をみさせていただきますね。」私は腹部の聴診と触診を
行った。腹部は膨満し、何箇所かにしこりをふれた。腹水も
溜まってきており、下肢のむくみも出てきていた。私は身体
所見をとった後、彼女に話しかけた。「特に辛いことなどあ
りませんか?」「.....。」彼女は黙ってうなずいた。尿量
と経鼻胃管の排出量を確認して、「それでは失礼します。」
と言って部屋を出て行こうとした時だった。彼女は言った。
「先生。なんかえらい迷惑かけてすまなかったな。」一瞬な
にをいわれたのか解らなかった。私は慌てて答えた。「何を
いっているんですか迷惑なんてこと何もないですよ。」
 彼女は少し置いて言った。「なあ先生....。私はもう助か
らんのだろう......。もう解っているんだよ...。実際の
ところどうなんだい.....。」
 私は戸惑った。彼女の言っていることは正しい。一瞬彼女の
必死の問いかけに腰をおろして時間をかけて話し込みたい衝動
に駆られた。だが今の状況でそれは許されないことであった。
 私は静かに答えた。「今状態はあまりよくありませんが、
何とかいい状態にしようと手をつくしているところですから。」
 彼女の質問に対しての答えにはなっていなかった。
 彼女は静かに目をとじてつぶやいた。「そうか.....。」
 彼女はそのまま黙り込んでしまった。私は彼女なりの必死の
問いかけに、とってつけた気休めで答えなくてはならない
気まずさに自己嫌悪をいだきながら部屋をでた。しっかりと
閉ざされた彼女の眼からは一筋の涙が流れていた。
(次回につづく)

【2005/05/01 18:24】 | トラックバック(0) | コメント(0) |
藪医者の独り言


ここに記載されたエピソードは著者の体験をもとに構成したフィクションです。 このページはリンクフリーです。気に入ったら適当にリンクを貼っていただいて結構です。


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