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誤報(1)のエントリーは11月26日付けです。最初から読む方はカレンダーで11月までたどって26日をクリックすると誤報(1),(2)のエントリーに入れます。あとは順々に日にちをクリックしていってください。
(モデルにさせていただいた誤報事件に関しての2chの過去ログ保存していたものアップしました
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この事件の理解の参考となれば幸いです。当時の記事などが引用されている部位もありますのでm3掲示板も閉鎖された今、資料として貴重なものとして保存してあります。)
私の専門は一般外科である。どうしても疾患としては消化器 癌の手術が主体となる。半分が早期で半分が進行癌であるとす るならば自分が手術した患者さんの半分は5年以内に亡くなる ことになる。できる限りの治療を行ったとしてもだ。 しかしながら私自体は癌は慈悲深い疾患だと思っている。 逆説的に思われるかもしれないが他の多くの疾患を考えて みると私の言っている意味が解ってもらえるかもしれない。 例えば糖尿病を考えてみよう。疾患がすすめば失明し、腎機能 がやられて透析となり(現在の日本の透析の導入理由の第一位 は糖尿病性腎症)手足が壊疽を起こし四肢を切断されそれでも 死ぬことができない。脳梗塞で麻痺で寝たきりとなった患者さん を考えてみれば、寝たきりで何年も生き続け、家族には影で 早く死んでくれないかと思われながら生き続けなくてはなら ない。肺気腫の患者さんはどうしようもない呼吸苦の中で 何回も挿管され人工呼吸器につながれ生かされてしまう。 治療を中断しようにも中断することが許されない。脳梗塞で 嚥下障害を起こせば昔は点滴もせずに干からびて弱っていくの をみて誰もが死を納得していた。しかしながら現在では口から 入らなければ経鼻栄養、胃に穴をあける胃ろう造設されて 無理やり生かされる。何年もこの状態で生かされつづければ 家族もつかれきって早く死んでくれと内心祈ってしまう心境 に追い詰められる。本当にこれで皆幸せなんだろうか? 食事がとれなくなって、衰弱して、家族に家で看取って もらえた昔のほうが皆幸せだったんではないかと思う。 癌は違う。早期であれば確実に病気を治癒させることがで きる。助けられる時期を逸したとしても、家族が周りが同情 し、真剣になる。痛みが出てきたとき痛みのとり方、尊厳死 の観念。一番研究され学問的に確立している疾患である。 脳梗塞の様に十数年寝たきりになるならば家族もつかれき ってしまうが数年、数ヶ月であれば周りも頑張れる。 医者ももう充分苦しんだから、最後はつらさや痛みを充分 とってあげて自然に任せましょうと言ってあげることができる。 充分苦しんできて、ようやく安らかな眠りにつこうとして いる患者さんに肋骨を折ってしまう心臓マッサージや苦痛を 伴う人工呼吸器の装着をしなくてすむ。人は老い、いつか必ず 死ぬ。その最後をどうするのか最も研究され、死が仕方の ないものだと誰しもが納得してくれる疾患。ある意味本当に 慈悲深い疾患であると感じるのである。
【2005/02/22 23:17】
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今の日本ではほとんど100%の人が病院で生をうけ 病院で亡くなる。つい半世紀前は自宅で産婆に取り上げられ 自宅で息を引き取った時代もあったが今はそんなことは殆ど ありえない。みな病院で亡くなっていく。かつては「あそこの おばあちゃん食事が食べられなくなったっていうからそろそろ かね」などと近所でささやかれ自宅で家族に看取られ、近所の 医者が往診して死亡宣告がなされた。老衰ということが一般の 感覚として理解されていた。今は食事が食べれなくなったとな れば病院に入院させられ点滴の管をつながれ、嚥下する能力が なくなれば胃に孔を空けられ栄養剤を流し込まれて本人の生か されつづける。状態が安定しても自宅には介護できる人間がい ないということで施設に預け続けることになる。老人ホーム、 老健施設は体のいい姥捨て山である。現代人の多くの人生の 終末は何十年もローンを払って住み続けた自宅では過ごせな い時代となっている。あなたが老いた時、誰があなたを助けて くれるであろうか?あなたは最後の時をどこで迎えるか考えた ことがあるであろうか?今、病院で横たわっている老人達は明 日の我々であるという事実を認識できることができる人はどれ くらいいるであろうか...。
【2005/02/21 22:15】
管理人雑感 |
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医者になって10年が経つ。年を重ねるごとに感じることは 自分らの非力さに他ならない。人は年を重ね、老いていき、 やがて死んでいく。医者がやっているのは患者が治癒するのを 助けるだけであり、患者に治癒する力がなければ助けること はできない。そして何もできないと分かっていても死ぬ間際 まで患者さんの側にいなくてはならない。医者になる前はもっと 医者はできることがあるのかと思っていたが、やれることも 限られているし、何よりも分かっていることより分かっていない ことの方が多く、皆半ば手探りで目の前の患者を治療していかな くてはならないという現実に苦しむ。患者さんは100人100様 で治療に対して協力的な患者さんから、アルコール、煙草依存 の患者さんなど様々おり、それぞれの生活がある。こちらの思う 通りの治療を行えるとは限らないし、同じ治療にうまく反応する かどうかもわからない。機械の製造ならすべての部品や構造が 明確であるし、電源を切り、場合によってはすべてをばらして 故障の部位も明確に分かる。人の場合はそうはいかない。 なんとアバウトな学問を武器に我々は患者さんと向かい合わな くてはならないのだろう。しかしながらできる範囲でやれること をしなくてはならない。そしてその人の人生を変えてしまうかも しれない決断を下さなくてはならないのだ。その日々の苦悩を 綴っていければと考えている。
【2005/02/20 17:58】
管理人雑感 |
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